批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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前回からの3週間で、国内外ともに政治が動いている。国内では政権にふたたび追い風が吹き始めている。相次ぐスキャンダルに野党とマスコミが振り回され、かえって焦点がかすんでいる。本欄執筆時点では柳瀬唯夫元首相秘書官の加計学園をめぐる虚偽答弁が話題だが、どこまでもつだろうか。財務省による公文書改竄や防衛省の日報隠しは、話題にもならなくなってしまった。
他方、国外で激動といえば朝鮮半島情勢である。4月27日に3回目となる南北首脳会談が行われた。文在寅大統領と手を取り合って軍事境界線を越えるパフォーマンスが大きな話題を集め、金正恩委員長の印象はほぼ180度ひっくり返った。拉致問題を抱える日本はまだ冷静だが、海外ではトランプ米大統領とともにノーベル平和賞に推す声もあるという。半年前まで米朝開戦前夜と騒がれていたことを思えば、悪い冗談のような展開だ。
安倍内閣と北朝鮮。双方の本質はまったくちがうが、共通するのは次々新展開が訪れる劇場型政治ということだ。この状況で肝心なのは、長期的目標を見失わないことである。
国内について言えば、国民生活にとっていまもっとも重要なのは行政の透明化であり、官僚機構の体質改善だろう。そのためにも公文書改竄問題を忘れてはならない。
他方で半島情勢について言えば、こちらで重要なのは、東アジアに残る冷戦の遺産を解消することであり、地域のすべての住民が最低限の民主制のもとで暮らせるよう、新しい枠組みを創出することだろう。統一か南北並立かは韓/朝鮮民族が選べばよいが、無辜の市民を苦しめる独裁体制は改善される必要がある。
筆者は南北間の非武装地帯を3度訪れたことがある。いずれも観光で、最初は学生の貧乏旅行だった。それから30年近くがたったいまも、板門店の会議場が変わらぬすがたのまま立ち、分断の象徴になっていることに目眩を禁じえない。東アジアで冷戦が終わっていないことの一因は、短期的利害を優先した関係諸国の現状追認にもある。融和ムードに流され、不作為を続けてはならない。
※AERA 2018年5月28日