日本の自動車大手で最後に参入したのはホンダである。1962年秋だった。その前年、通商産業省(現・経済産業省)は国内メーカーの競争力保持のため特定産業振興臨時措置法案で新規参入を禁じようとしていた。

 ホンダ創業者の本田宗一郎は政府の方針にかみついた。一升瓶を手にし、通産省に直談判に行ったのは有名な話である。ホンダは法案が通る前に自動車業界に駆け込んだのだ(法案は64年に廃案)。ホンダは既得権者への挑戦者だった。

 ところが宗一郎は社内では新旧対立の、「旧体制」側を演じた。エンジンの空冷・水冷対立は有名だ。宗一郎は空冷を推し、若手技術者は水冷を開発したかった。公害対策をにらめば水冷を開発しなければならないと若手は考えた。激しい対立が続いたが、宗一郎は最終的には空冷の旗を降ろす。技術や時代の変化を認めざるを得なかったのだ。

 終生、挑戦者だった宗一郎が若い挑戦者たちに負けを認め、その後は研究開発から距離を置いた。この引き際の良さはスポーツ選手などと同じで、自らの力量と若手の力量とを比較し、自分の出番はないと合理的な判断をしたからだろう。自らが持ち合わせた識見と能力で若手と勝負し続けた宗一郎だからこそ負けをあっさり認めたのではなかろうか。

 経済界で厄介なのは社長を退いても会長、相談役、顧問と肩書を変え、居残る人たちだ。この種の人たちは経団連など財界団体での要職に就く。エスタブリッシュメント企業出身者が多いのも特徴だ。

 有名企業に就職し、会社のために粉骨砕身し、獲得したポストである。「簡単には手放すものか」と考えている節もある。またそれに続こうとする側近たちはお追従をするものだから、若手が割り込む隙はない。

 日本経済の停滞は会社も人も新陳代謝が少ないことが一因だ。活力のある経済社会になるには、既得権者に早く去ってもらわねばならない。「負けるな、次世代リーダーよ」と応援しなければならないゆえんである。(経済ジャーナリスト・安井孝之)

AERA 2018年5月21日号

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