車いすの理論物理学者、スティーブン・ホーキングが3月14日朝、英国ケンブリッジの自宅で死去した。筋肉を司る神経が侵される難病「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」を患い、診断された21歳のころには余命2年といわれたこともあったが、76歳まで活躍した。宇宙物理という専門的な業績に加え、ベストセラー『ホーキング、宇宙を語る(原題:A Brief History of Time : From the Big Bang to Black Holes)』などで一般の人にも科学のタネをまいた。
ホーキングを物理研究に目覚めさせたのは、病と女性であった。1962年にオックスフォード大学を卒業し、大学院生としてケンブリッジ大学にやってきたホーキングが、体が動かしにくくなっているのを母が気づいた。いろいろな検査の末、専門医の結論はALSだった。当然、彼はその運命に打ちのめされた時期があった。しかし、そのころから付き合い始めた大学生ジェーン・ワイルドとの未来を考え、思い直して、宇宙論の研究に取り組んだ。
「結婚するつもりなら仕事が必要、そのためにはなんとしても博士号を取らなくてはいけない」(前掲書から)
博士論文のテーマは一般相対性理論に基づく「膨張する宇宙の性質」。前半は革命的ではなかったが、後半で後に共同研究者となるロジャー・ペンローズによる「星の中の特異点」という考え方を宇宙全体に当てはめるというひらめきをみせ、喝采を浴びた。研究が好きで性に合っているとわかったのはその時だったという。65年、論文を提出したホーキングは、ケンブリッジ大学キーズカレッジの研究員となり、ジェーンとの結婚も果たした。
研究者には出会いが重要だ。ホーキングにとって最大の出会いは、燃え尽きた星が自らを支えきれずに重力によって中心へと崩壊していくブラックホールだった。恒星の末期の研究を契機に20年以上もほそぼそと調べられていたが、ブラックホールという名前がつけられた67年前後から盛り上がってきた。