――本に出てくる「産院は天国と地獄が同居する場所なのだ」という言葉が印象的でした。
私も自分の体験で気付いたことです。4年前、妊娠38週で胎動を感じなくなり緊急帝王切開で長男を出産しました。息子はNICUのある総合病院へ搬送されたため、産院に残された私に唯一出来たのは母乳を絞って息子に届けることでした。ただ、私のいた産院では搾乳器が授乳室の中にしかなかったので、お母さんたちが赤ちゃんを抱いて授乳しているのを横目で見ながら搾乳しました。元気な赤ちゃんを産んで直接おっぱいを飲ませるという、ほかのお母さんが当たり前にできることがどうして私には出来ないんだろうと、息子に申し訳なくて、ひとりぼっちでいる自分がみじめで。病室ではほかの赤ちゃんの元気な泣き声が聞こえるたびに布団をかぶって声を殺して泣いていました。
――死産や新生児死を経験した「天使ママ」たちに取材を始めたきっかけは何だったんですか。
長男の出産当時は傷つくことの連続でした。先輩ママから、産後は目が疲れるから出産報告用のSNSの投稿や職場へのメールは事前につくっておいた方がいいよとアドバイスされて「◯月◯日、◯グラムの元気な男の子が生まれました」という文を用意してたんです。でも息子は「元気に」とは言えない状況で生まれましたし、写真を撮ろうにも顔は呼吸器、手足は点滴の管につながれてて、「これを撮影してみんなに送るわけにもいかないよなぁ」とか考えてしまって。子どもがNICUにいるから夜寝られていいねと言われたこともありました。実際は夜中も3時間ごとに約1時間かけて搾乳と哺乳瓶の消毒をしていたので満足に寝られなかったし、なによりもどんなに睡眠不足になったって、子どもの泣き声を聞いて、抱きしめられたら幸せなのに、と悔しくて涙が出そうでした。
少し気持ちが落ち着いてだんだん周りを見渡せる頃になると、NICUにいるお母さんの中には低出生体重児で体重を言いたくない人もたくさんいるんだろうなとか、病院の廊下で泣きじゃくる女性の姿も目に入るようになりました。
また、本を執筆中の昨年出産した次男は低出生体重児かつ不当軽量児だったのですが、内祝いを送るときにつけるメッセージカードのフォーマットは「○月○日、○グラムの男の子を出産しました」と体重を記載しないといけないようなものしかなくて。体重を書きたくなかったので、いちからメッセージを作りながら、ああ、また私は世の中に期待されているような健康な子が産めなかったんだなと思い知らされました。
元気な赤ちゃんを産んで当然に思われているけれど、誕生とは正反対の赤ちゃんの死という現実もある。死産は50人に1人の割合で起きていて(2016年厚生労働省人口動態統計より)、突発的で原因不明の場合も多い。誰にでも起こりうることなんです。