辞典編纂者の目で小説に潜むことばの謎を見いだし、解き明かす。『小説の言葉尻をとらえてみた』(飯間浩明著)は、読者をことばの魅力の中へと引き込む、異色の小説探検だ。
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「一般的な読者は物語のプロット(筋)を楽しみたくて小説を読むのでしょうが、私は使われていることばに注目します。作者が使う何げないことばや表現に、知らなかった面白さが潜んでいることがあるのです」
歌舞伎を観に行くと、筋立てはもちろんだが衣装や小道具を眺めることも楽しみの一つ。「言葉尻をとらえる」とは、小説のディテールを見る感覚を養うことでもあるのだ。
飯間浩明さんは『三省堂国語辞典』の編集委員。日本語のプロフェッショナルをツアーコンダクターとして、小説の中を旅する──というのが、本書の趣向だ。
「辞書づくりの『基礎の基礎』ともいえる用例採集では、異なる意味で使われていることばの実例や載っていないことばをなるべく広範に集めます」
そのために重要な活字資料となるのが、現代の作家が書く小説なのだ。飯間さんが選んだ旅先はミステリーやホラー、時代小説からライトノベルまでジャンルもさまざまな15作。作家の名前をあげれば、朝井リョウ、恩田陸、角田光代、池井戸潤などが登場する。
「昭和が舞台のドラマならば、自販機や公衆電話をその時代に使われていたものにしますよね。同じように登場人物が使うことばも、その年代に使われていたものかどうかが、気になります。警察には指名手配犯の顔を覚えて、街で捜し出すプロがいるそうですが、似たような感覚かもしれません」
といっても飯間さんは間違った用法を探そうとか、揚げ足をとろうとしているわけではない。
「使われていることばの面白さを紹介して、読者と一緒に驚き、楽しみたいのです」
たとえば伊坂幸太郎の『グラスホッパー』に出てくる「知った口」という言い回し。多くの作家は「知ったような口」と書くところだ。作家の個性がこぼれるようなこうした表現は、小説の中で不意に輝く。
「今日、慣用句として使われている表現も、元をたどれば誰か一人が使いだしたもの。時代のなかで支持され、用例が増えていくことで定着していきます。小説に出てくるめずらしいことばや表現は、未来につながっているのかもしれません」
飯間さんをツアーコンダクターとした本の旅をしていると、ことばや表現は一様ではない、とあらためて気がつく。「言葉尻をとらえる」とは、ディテールにこだわるだけではない、作家の小説世界を深く知り存分に楽しむための方法なのだ。(ライター・矢内裕子)
※AERA 2018年2月12日号