10歳の時に、両親が旅館経営を始め、今では次男の兄が後を継いでいます。当時、旅館を建て替える必要があり家族に少し時間ができた時に、私は父といっしょにスノーボードを始めました。その頃は北海道もまだスノーボード人口は少なく、まわりはスキーヤーばかり。その後も私が高校生になってもスノーボード禁止のスキー場が多かったほどでした。だからこそ、父と旅館の近くの山に行ってスノーボードと出合えたことは運命ですし、その機会がなければこんなに早く滑り始めていなかったと思います。

 子どもの頃から活発だった私は、体育の成績も良かったです。学校から帰れば、ランドセルを放り投げてすぐに外に行って、男の子たちに交じってキックベースとか球技ばかりしていました。あまりに男の子とばかり遊んでいたので、初恋がいつなのか自分でもわからないほど(笑)。16年に手術した左膝のケガの痕は綺麗になくなっているのに、あの頃の傷痕は全然消えないで残っている。今回のように時間を見つけては故郷に戻ることで、こうした昔話もより鮮明に思い出すものです。(構成/西川結城)

AERA 2018年1月22日号

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