――きっかけが何かあったのですか?
原研3号炉で実験をしていた東京大学物性研究所の先生が、兵庫県の播磨科学公園都市に理研が建設した放射光施設「スプリング8」にも関わっていらして、「チャンスがあるかもよ」って教えてくださったんです。
――スプリング8は、加速器から出てくる強力な電磁波を物質の解析や分析に利用するための巨大な施設です。和歌山カレー事件で分析に利用されて有名になりました。
そうですね。内地留学でお世話になった京大の先生も応援してくださり、ちょうどスプリング8が立ち上がる時期で、とてもラッキーでした。でも、私はこのとき体調を崩して、ガタガタの状況でした。
■精神的に壊れてしまった
――どんなふうに?
半年の休職を取り戻すために帰国後は高専生の卒業指導にものすごく頑張ったんです。食事もろくにとらずに学生指導をし、睡眠時間も2、3時間といった生活を続けたら、小学生のときにかかった腎盂炎が本格的に再発してしまった。卒業研究発表が3月8日で、終わったら病院に行ってそのまま入院です。40度、41度の高熱が続き、薬を点滴しても下がらなかった。
採用面接がその1週間後ぐらいにあって、医者に頼み込んでこの日だけは東京に行かせてもらった。退院できたのは連休の直前でした。いったん千葉県我孫子市の実家に行きました。そのとき、父が倒れたんです。もともと心臓が悪く、見つけたときは相当危ない状態で、電話で医師の指示を受けて私が車で東京の病院に運んだ。運よく名医に手術をしていただけて、一命をとりとめたんですが、その間に実家が漏電で火事になったんですよ。
――え~!
母も見舞いに出ていたので、家には誰もおらず、誰も死ななかったんですけど、全焼でした。結局、播磨に行けたのは5月も中旬でした。
でも、その後、私は精神的に壊れちゃった。朝起きられなくて夜寝られないとか、頭が発散しちゃう感じで。そもそも私は自己評価が低いんです。低いから頑張るんですけど、自己評価が低い人がうつ状態になると、本当に生きているのが大変になります。ものすごくつらかったですね。
薬を飲んで、ある程度持ち直して、仕事はしていました。ところが2000年に私が実家に行ったとき、母の不在中に父が亡くなりました。72歳でした。さまざまな後始末が一段落すると、ひどいぜん息になりました。