イラスト:土井ラブ平
イラスト:土井ラブ平
埋蔵金伝説ベストテン ※トレジャーハンター、八重野充弘さん選定(AERA 2017年9月25日号より)
埋蔵金伝説ベストテン ※トレジャーハンター、八重野充弘さん選定(AERA 2017年9月25日号より)

「断捨離」と言われても、なかなかモノが捨てられない。だが、インターネットのおかげで、実家の片づけや引っ越しで出るガラクタにも値がつく時代に。訪日する中国人が、家の片隅に置かれた中国骨董に高値をつけ、メルカリでどんどん遺品整理もできる。タンスの中は、宝の山だ。AERA 2017年9月25日号では「お宝流出時代」を大特集。

【トレジャーハンターが選んだ埋蔵金伝説ベストテンはこちら】

 日本には、1万カ所近い「埋蔵金伝説」があるという。でも、真実味があるのは1%程度。本当のお宝はどこに? 日本で唯一の“トレジャーハンター”に聞いた。

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 全国津々浦々に埋蔵金伝説はあるものの、99%は「作り話」で、真実味があるのは1%程度だという。そこで、長年埋蔵金ひと筋に各地の埋蔵金伝説を追求してきたというトレジャーハンターの八重野充弘(みつひろ)さんに、その中でも特に信頼性の高いベストテンを挙げてもらった。

 1位は、知名度ではわが国ナンバーワンの埋蔵金伝説を誇る「徳川埋蔵金」だ。徳川埋蔵金が広く知られるようになったのは、90年代に始まり、今も断続的に続くTBSの発掘プロジェクトだ。「宝探し」というテーマにロマンをかきたてられ、お茶の間に徳川埋蔵金ブームを呼んだ。そのお宝とは、幕末に隠されたとされる徳川の軍用金360万両(時価にして数千億円)。場所は、赤城山麓だ。だが、八重野さんは、赤城山麓説は「信憑性は低い」と見る。

「当初は赤城山麓が候補だったかもしれないが、実際はもっと北へ分散して埋めたのではないか。赤城以北の各地に、幕末に馬や牛でひそかに千両箱をのせ運んでいたという、複数の目撃談が残されています」

●徳川埋蔵金のロマン

 では、江戸城のお宝はどこへ消えたのか。江戸城開城の時、蔵には小判一枚なかったといわれる。八重野さんは、その場所をピンポイントといえるくらい絞り込んでいる。赤城山の北西麓、今の群馬県昭和村長者久保だ。その山中に「大法馬金(だいほうまきん)」と呼ばれる重さ165キロの大金塊(金の地金として見た場合、時価約8億円。文化財としての価値はその数十倍)が眠っていると見る。天保年間(1830~44年)、老中・水野忠邦によって江戸城から持ち出されたとされる。

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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