
経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。
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イギリスのメイ首相が日本にやってきた。今、外遊している場合か。つくづくそう思う。
イギリスは、目下、EU離脱交渉でてんてこ舞いだ。というよりは、もっとてんてこ舞いしているべきなのに、煮え切らない態度でもたもたするばかり。「戦略的あいまいさ」作戦だなどといっているが、その実、「逃避的あやふやさ」をもって、ぼーっとしているようにしか見えない。情けないことだ。
いくつかの提案が出てきてはいる。だが、ひとまず、いずれもEU側からは厳密性と具体性に欠けるということで一蹴された。EU側が山のように書類を用意して交渉に臨んでいるのに、イギリス側は手ぶら。この映像が盛んに話題になったのは、ご記憶に新しいところだ。
書類の山があればいいというものではない。だが、この間のイギリスの姿勢は、何とも実務的でない。現実主義のイギリスに誠にふさわしくない。
これは一体どうしたことか。あれこれ考える中で、ある人のイメージに到達した。その人は、ロバート・ファルコン・スコット。南極探検史に残る有名人だ。イギリスのスコット隊と、ノルウェーのロアール・アムンゼン隊が南極点への到達を競った。20世紀初頭のことだ。わずかの差でアムンゼン隊が勝利、スコット隊は悲劇の全滅を遂げた。
両者の違いはどこにあったか。それは準備の周到さだ。アムンゼン隊はありとあらゆる準備を徹底的に行った。装備・食料・事前学習・事前訓練・犬の扱い・手順決定。考えられる全てのテーマについて、考えられる全てのポイントをカバーした。それでも、様々な艱難辛苦に遭遇した。だが、総じていえば、驚異的なスムーズさをもって南極点への一番乗りを果たした。
一方のスコット隊は、やたらと準備をすることは「潔しとせず」とか、「そんなのフェアプレーじゃない」とか、「いざとなれば何とかなるさ」といった類いの奇妙な精神論で、行き当たりばったりの構えに終始した。下手をすると、イギリス人は、こういう変な突っ張りと勘違い的冒険心のとりことなってしまう。
メイ首相がスコット隊長に見えてきた。どうか、突っ張りより実利を。
※AERA 2017年9月11日号