国内外の呪術に詳しい神戸大学大学院の梅屋潔教授も、人類学・民俗学の観点から、
「呪いには、弱者から強者への抗議という社会的機能がある」
と説明する。
社会的に取りうる正当な手段が尽きたとき、人は呪いに訴える。感情に任せての行動ではない、と教授は言う。
●“実名入り”でびっしり
次に向かったのは、同市中京区の法雲寺内に祀られている菊野大明神。知る人ぞ知る縁切りスポットだ。最近はほとんどないが、かつてはわら人形が置かれることもあった、と話してくれたのは先代住職の妻の伊藤悦子さん。見つけた場合はすぐ撤去するという。
「恨みつらみは自分のためによくありません。あくまで自分の今後のためにお参りをして悪縁を切り、良縁を頂いてほしい。神様におすがりすることで自分が強くなれる、心が保てる、という効果もあるのでは」
同じく縁切りで有名な神社だが、一風変わったお参りの方法で人気なのは、東山区の安井金比羅宮だ。「縁切り縁結び碑」は、中央に人がなんとか通れるほどの穴が開いており、参拝者はこれをくぐってお参りする。碑には願いの書かれた形代(かたしろ)が無数に貼られ、異様な存在感を放っている。
境内の絵馬を眺めていると、見てはいけない呪いの心を垣間見てしまったような感覚に、背筋がぞっとした。「旦那と◯◯との縁が切れますように」「姑との縁を切ってほしい」「息子と◯◯との縁が切れ離婚が成立するようにお願いします」……実名入りで、びっしりと並んだ文字。
自分の幸福と引き換えに誰かが不幸になるような願い事でも、神様は聞いてくれるのか? 鳥居肇宮司に疑問をぶつけた。
「誰にとって何が不幸かは、神様が決めること。これを願ったらいけない、ということはありません。神様がかなえてくれるかどうかは別の問題ですが」