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 賛美歌(黒人霊歌やゴスペル)の伴奏のために教会にオルガンは必需品だったし、多くの黒人ミュージシャンが子供の頃から教会におそらく深く接していたにも拘わらず、他の楽器に比べてオルガン・ジャズのデビューはずいぶん遅かったらしい。

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 神聖な宗教音楽を商業的(金儲け)に用いることに抵抗があったと言う説、ピアノに比べて奏法が格段に難しかったからと言う説など、いろいろ言われているけれど、ジミー・スミスによってオルガン・ジャズの道は開かれ、人気投票ランキングでは[その他の楽器部門]に追いやられていた奏者達も、遅まきながら新設された[オルガン部門]にやっと入ることができた。ジミーの功績は大きい。

 同姓同名のドラマー:ジミー・スミスとケニー・バレルとのトリオで1993年暮の来日時、ライブ・レコーディングを予定された大阪へのツアーに同行した。

 時まさにクリスマス・イブとあって随所にクリスマス・ソングのフレーズを粋に織り交ぜながら、ソウルフルにブルージーにファンキーに繰り広げられたコンサートの模様は後に 「THE MASTER」「The Master II」としてリリースされた。(ジャケットとインナーのライブ・フォトはこの時撮影したもの)

 ユッタリとしかし広すぎない会場、テーブルにキャンドルの灯り、ラブ・カップルが大半(クソ)、明るすぎないステージ (写真撮りにくい、クソ)、暗いステージが撮りにくいのは当然ですが、暗いステージのキーボード奏者はもっと難しい。他の楽器と違ってその楽器らしい部分を写しにくく、第一、奏者が前を向いていない……。

 ピアノはまだ馴染みのある楽器だから、響板や脚やペダルを写し込んで、それなりの絵作りが出来ても、ハモンド・オルガンは鍵盤が見えない限り、誰がどう見てもただのでっかい木箱。木箱が暗闇の中にあると、木箱奏者は両手を闇に突っ込んで身悶えしているようにしか見えないのです……ほんと、カメラマン泣かせの木箱です。

 急逝したジミー・スミスの追悼コンサートが2005年5月、新旧9名の日本人オルガン奏者を集めて、六本木のスイートベイジルで行われた。

 スイートベイジル(STB139)は、オープニングにロバータ・フラックを迎えて1998年の暮れに開店。以来アニマルズ/ドノバン/シルビー・バルタン/クリストファー・クロス/カーラ・ブレイ/モンキーズのデイビー・ジョーンズなどなど、ブッキング担当の中山康樹の多彩な趣味を反映した実に節操のないプログラムで人気を博した。

 オープン当初から約1年間はハウス専属のカメラマンとして、週替わりで繰り広げられるブリティッシュビートやアメリカンポップやフォークソングやジャズを、節操なく楽しませていただいた僕にとっては懐かしのライブハウス。

 ジミー・スミス・メモリアル・コンサートの発起人は日本のオルガンジャズの第一人者KANKAWA。この夜の(12インチLPサイズの)特大判プログラムは、ジャズキチ(大のジミーファン)の印刷屋が無償で作ったもの。お線香の代わりと言っては何ですが、僕の写真提供もノーギャラです。

 顔を合わすと笑顔でいつも「ゲンキデスカ~?」「アァ、ソーデスカ~」としわがれ声で言ってくれたジミー・スミス……最高の木箱奏者。

ジミー・スミス :Jimmy Smith (allmusic.comへリンクします)
→オルガン/1925年12月8日 ~ 2005年2月8日