ネット上の物体だけに、仮想通貨という名前を与えるのは、おかしいと思う。むしろ、「架空通貨」というべきではないか (※写真はイメージ)
ネット上の物体だけに、仮想通貨という名前を与えるのは、おかしいと思う。むしろ、「架空通貨」というべきではないか (※写真はイメージ)
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 経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。

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 最近、仮想通貨が何かと話題になる。財務省と金融庁が、仮想通貨を「モノ」ではなく、「カネ」だと正式に認定する方向で動いている。大手の金融機関が、相次いで独自の仮想通貨の開発に乗り出している。仮想通貨による決済に使われるブロックチェーン技術について、日本銀行と欧州中央銀行(ECB)が共同研究を始めるというニュースも報じられた。

 ドナルド・トランプ次期米大統領への不安感から、ドルを手放してビットコインに逃げる投資家の逃避行動が、ビットコインの対ドル相場を大きく押し上げた。資本流出規制を強化した中国からカネを持ち出したい人々も、ビットコインを脱出用の乗り物に使っているらしい。

 仮想通貨とは、一体何だろう。従来、この疑問が筆者の頭の中を折に触れて去来する。実をいえば、筆者は、そもそもこの仮想通貨という言い方が気に食わない。どうも、まずいネーミングだと思うのである。なぜなら、およそ、通貨と名のつくものは、古来、基本的に仮想通貨だからである。

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浜矩子

浜矩子

浜矩子(はま・のりこ)/1952年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。前職は三菱総合研究所主席研究員。1990年から98年まで同社初代英国駐在員事務所長としてロンドン勤務。現在は同志社大学大学院教授で、経済動向に関するコメンテイターとして内外メディアに執筆や出演

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