●逆賊門の今昔
ロンドン塔については、「倫敦塔の歴史は英国の歴史を煎じ詰めたものである」(『倫敦塔』)との捉え方をする。塔橋(タワーブリッジ)の上からロンドン塔を認めた時、漱石は「その偉大なるには今更の様に驚かれた」(同)と感動を述べ、「塔橋を渡ってからは一目散に塔門迄馳せ着けた」(同)とある。期待に胸を弾ませる様子が見てとれる。
ロンドン塔では、漱石が「名前からが既に恐ろしい」(同)と書いた逆賊門をのぞいた。罪人が舟に乗せられてテムズ川を護送されこの門をくぐると、二度と日の目を見ることはなかった。今では観光客が投げた無数のコインが水底で鈍い光を放っている。幅の狭い石の階段が15段ほど続いており、漱石は「この門に横付につく舟の中に坐して居る罪人の途中の心はどんなであったろう」(同)と思いやる。
漱石は続けてロンドン塔で処刑された人物を具体的に描写する。その一人に1554年に16歳で斬首されたレディー・ジェーン・グレイがいる。義理の父と夫の野心の犠牲になり、メアリー1世によって処刑された。女王在位はわずか9日間だった。『倫敦塔』の最後に漱石が処刑場面の描写に参考にしたと記述しているのは、フランスの画家ポール・ドラローシュ(1797─1856)の絵画「レディー・ジェーン・グレイの処刑」だ。
これは、ロンドンのナショナルギャラリーに展示されている。私が訪ねた当時はいつもの場所ではなく、部屋のリフォームのために移動されていた。新しい部屋の中央に掲げられたその絵の迫力はさらに増していた。元女王は目隠しをされたまま、首を置く台を白い手を前に伸ばして探っている。絵を見ている私たちに向かって、にじり寄る構図だ。横には斧を持った男性が立ち、台の前には彼女の血液を吸うワラが用意されていて生々しい。
●カーライルの「胃弱」
ロンドン塔の中庭には処刑場の跡があり、命を絶たれた女王や貴族らの記念碑が置かれていた。レディー・ジェーン・グレイの名前も見つかった。『倫敦塔』を読むと、心ならずも命を絶たれた人たちの怨念と悲嘆の声が耳に響くようで、今更ながら漱石の迫力ある筆致に圧倒される。
『カーライル博物館』(1905<明治38>年1月、雑誌「学燈」)は、トマス・カーライル(1795─1881)の生前の住居を訪問した紀行文だ。カーライルは、スコットランド出身の思想家・歴史家・評論家で、大英帝国時代を代表する言論人。代表作に『英雄崇拝論』『フランス革命史』など。『吾輩は猫である』に、登場人物がカーライルと同じ「胃弱」であることを自慢して友人にからかわれる描写がある。