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 胃潰瘍・肺炎といった病気や声帯・足の関節の手術などのために入退院を繰り返し、マイルスは6年間にわたって聴衆の前での演奏活動を完全に休止していた。そして……絶望視されていたカムバックが実現したのは1981年。復活直後のマイルスは体調もすぐれず、僕にはぬぐい去れない恐怖心がつきまとっていて、ついに心まで接近することができずに終わってしまっていたように思う。

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 通算5度目の来日となった日本公演はギル・エバンスとのツアーだった。僕にとっては'81年の出会い以来2度目の機会となった'83年のマイルスの思い出を振り返ってみよう。

 名古屋で始まった'83年のツアーは、大阪から東京へ…… マイルスは健康と自信をアピールするかのように、ぼくのカメラをかなり意識するようになった。確かに健康状態は前回に比べて格段に良くなり、音楽的にもそれを表すように、充実したパフォーマンスを見せてくれた。

 プールサイドのテラスからガラス越しに僕は見ていた。マイルスが泳いでいる。

「さあ、入ってこい!、さあ、撮るんだ!」

 と手招きして見せる。

「マ、待ってくれ、カメラを持ってくるから。」

 僕はガラスの向こうのマイルスにジェスチャーした。

 大阪のステージを翌日に控えたこの日、宿泊していたロイヤル・ホテルでもマイルスは日課にしていたスイミングを欠かさなかった。ホテル内の公共の場所では撮影が禁止されている。

 マイルスが泳いでいると聞いて駆けつけた僕は、プールの受付にカメラを預けていた。オレは写真が嫌いだと、かつては拒絶した彼が、今はもう完全にオープンになっている。

「さあ撮れ!」

 という言葉は、身も心も、そして音楽も自信に満ちていることの証明だ。ホテルの許可を得て、子供の水泳教室を横目に見ながら泳ぐスイミング・マイルスを、僕はカメラに収めた。復帰直後の体調も、マイルスのこうしたリハビリの成果と、酒もタバコもやめた効果もあってか良好のようだった。

「シャドウ・ボクシングをやるから、ついて来い」

 スイミング・プールから出てきたマイルスに腕を引かれた。部屋に行くと、独特の線で描かれたシャツを窓際に広げたり、スケッチブックを開いたりして見せては、

「好きか?」

 と尋ねたりした。結局シャドウ・ボクシングをやり始める様子はなく、そのうち入ってきたマネージャーのクリスにまたしてもつまみ出されてしまった。

 この時のマイルスは、すごくやさしく穏やかで、そして少し寂しそうに見え、2年前のツアーに同行した時に味わった僕の恐怖の記憶は薄れていた。

 翌日のステージは、聴衆とバンドが一体となって高まっていくような素晴らしいコンサートになった。最後の曲が終わると、メンバーが突然を演奏し始めた。大阪公演のこの日、5月26日がちょうど誕生日に当たっていたのだった。

 ローソクを吹き消した58歳の帝王がペロっとケーキをなめるのを、舞台の袖でギル・エバンスが静かに見ていた。マイルスとギルとは旧知の間以上の関係であり、音楽的にもギルと出会わなければ、その後のマイルスはなかったとさえ言われているほどの才能ある作・編曲家だ。

 今回のツアーは、ギルの率いるオーケストラとのダブル・ビル・コンサートだった。かけがえのない友人同士だが、二人は見るかぎり極めてクールで、マイルスはギルにただ微笑みを返すだけで通り過ぎて行った。しかし、それは確かに僕がそれまでに見た一番ハッピーなマイルスだった。

 東京に戻る日、新大阪駅でスモウ・レスラーを見つけた時。キオスクをのぞく時、アル・フォスターやアシスタントとして同行したビンスとふざけたりする時、マイルスは僕に写真を撮れと身振りで命じた。(ビンス:ビンセント・ウィルバーンは、2年前のマイルス復活の実現を陰でささえる大きな力になったと言われるマイルスの甥。復帰直後に発表された「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」中の2曲は実はビンスのバンドにマイルスが客演したもの。後にマイルス・バンドのドラマーとして参加することになる。)

 逆鉾(現・井筒親方)や寺尾(現・錣山親方)、売店の女性は、彼がジャズの帝王マイルス・デイヴィスだということを、はたして知っていただろうか。

 ちょっと照れくさかったけれど、同じ新幹線に乗り合わせていた内藤忠行さんにぼくのカメラを預けて撮っていただいた。内藤さんはマイルスを始めビッグなジャズ・ミュージシャンの歴史的なショットを長年数多く撮ってこられた、ぼくなんか足元にも及ばない素晴らしい写真家です。ばくがまだジャズを撮り始めるずっと以前から、雑誌のグラビアなどの内藤さんのページを溜め息まじりに見てはあこがれていた大先輩に、おそれ多くもミーハーなお願いをしてしまいました。……忠行さん、ぼくとマイルスのこんなにイカした笑顔を撮ってくれてアリガトウ!

 1983年5月28/29日(東京:よみうりランドEAST)2年前に復帰したマイルスに初めて会ってから、ぼくにとっては2年ぶりの再会となった'83年の日本公演は東京で2日間の最終ステージとなった。

 マイク・スターン(g)にジョン・スコフィールドを加えて2ギター/7人編成になった今回の日本ツアーは、またしても賛否両論の論議を呼んだようだ。ぼくにとっては、マイルスの誕生日という特別な日にあたって最高潮に達した大阪公演の印象があまりにも強烈な記憶として残った。

 滞在中のホテルや移動の間、オフ・ステージでもマイルスと近く接することで、ぼくの恐怖心もしだいに薄れていくように感じられた'83年の日本ツアーはこうして幕を閉じたのだが、この1ヶ月後にまたマイルスに会うことになろうとは……。

マイルス・デイヴィス:Miles Davis (allmusic.comへリンクします)
→トランペット/1926年5月26日 ~ 1991年9月28日