アエラにて好評連載中の「ニッポンの課長」。
現場を駆けずりまわって、マネジメントもやる。部下と上司の間に立って、仕事をやりとげる。それが「課長」だ。
あの企業の課長はどんな現場で、何に取り組んでいるのか。彼らの現場を取材をした。
今回は福助の「ニッポンの課長」を紹介する。
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■福助 クリエイティブ本部MD2部 メンズソックスグループ グループリーダー 早野将史(40)
130年を超える会社の歴史の中で初めて、創業の品である足袋以外で社名「福助」を冠した紳士靴下ブランドを、5人の部下とともに2年かけて作り上げた。
履いた試作品の数は、何百では足りない。デザインはもちろん、糸や生産地にもこだわり、日本人男性の足に最もフィットする靴下の理想形を製品に落とし込んだ。
「メンバーがどんなに苦労して作ったものでも、納得がいかなければ、もう一度作り直そう、と促します。妥協はしませんでした」
素材、柄によっても履き心地が変わる靴下づくりは、細かい作業が要求され、「日本が得意とする分野」だと早野将史は考える。
一般的なニット用よりも小さな針の編み機を使い、糸の微妙な張りを管理。ミリ単位で仕上がり寸法をそろえる。半年間に4~5回は、東京から奈良県や兵庫県にある取引先の工場へ向かい、検討を重ねる。
靴下もほかの工業製品同様、海外での生産比率が高まり、日本の工場が苦しい時代もあった。ただ最近は「メイド・イン・ジャパン」の価値が見直され、流れは少しだけ変わりつつある。
「跡取りがいないという理由で廃業した工場もありました。“福助”が、日本のものづくりを継承していく一助になれば」
1999年に専修大学商学部を卒業後、入社。長らく百貨店の営業を担当し、2011年に紳士靴下の新商品を企画開発する今の部署に異動した。
「仕事の悩みは仕事中に聞く」がモットー。部下たちのメールのニュアンス、電話の声色などをうかがって、問題がありそうなら声をかけ、任せられそうなら静観する気配りを見せる。
そんな早野自身に仕事の悩みを聞くと「ありません」と笑った。
「つらいときもあるけれど、解決後の達成感が仕事の醍醐味です」
日本の靴下は世界一、という揺るぎない自信が、早野を支えている。
(文中敬称略)
※本稿登場課長の所属や年齢は掲載時のものです
(ライター・安楽由紀子)
※AERA 2015年10月19日号