一番大事にしてきた「声」を捨てる決断と家族、これからの人生について語った(※イメージ)
一番大事にしてきた「声」を捨てる決断と家族、これからの人生について語った(※イメージ)
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 歌手で音楽プロデューサーのつんく♂さん(47)が声帯を摘出した。2015年4月、この発表を衝撃をもって受け止めた人は少なくないだろう。12月、取材に応じ、一番大事にしてきた「声」を捨てる決断と家族、これからの人生について語った。記者の問いかけに、LINEの画面をこちらに向けて、キーボードを打って答える。

 喉頭がんと診断されたのは14年2月。声のかすれが悪化し、受けた検査でわかった。具体的には想像していなかったが、

「人間、自分の身体のことは分かってるんですね。なんか嫌だなぁ、というのはずっとあったように思う」

 予感に従うように、13年夏のシャ乱Q結成25周年記念ライブツアーでは、全公演に妻と3人の子どもを呼んだ。最終日には「なんだか撮っておかなきゃいけない気がして」(著書『だから、生きる。』新潮社)、急遽映像も収録した。喉頭がんは初期なら9割の人が放射線治療で治る。つんく♂さんも治療を受け、一度は「完全寛解」と診断されたものの再発。14年10月、がんが巣くう声帯を摘出した。

「声を失う怖さは、かなりありました。歌なしで、どうやって仕事するんだろうと」

 シャ乱Qのボーカル、プロデューサーであり、社員四十数人の会社の社長でもある。だが、声を残すことは死と直結していた。

「声帯を取ることイコール『生きること』という楽観的な考えはなかった。声帯を取ったからといって、その先元気でいられるわけではない。『生きながらえる』みたいな気持ちだった」

 支えとなったのは家族だ。

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