ブチャの駅前通り。ウクライナ軍の攻撃を受けて大破したロシア軍装甲車両が積み重なっていた=2022年4月8日、国末憲人撮影
ブチャの駅前通り。ウクライナ軍の攻撃を受けて大破したロシア軍装甲車両が積み重なっていた=2022年4月8日、国末憲人撮影

 村が解放された後も、ロシアからの砲撃は相次ぎ、巻き込まれる人が後を絶たない。村人の多くは避難し、いま住民は2割ほどしか残っていない。

 医師のエルリフさんは侵攻当日、ハルキウ市内の自宅からの出勤を諦め、そのままウクライナ軍に志願した。以後、一貫して最前線で医療活動に携わっている。

 昨秋オンラインで連絡を取った彼は「具体的な場所は言えませんが、ハルキウ州東部の激戦地にいます。戦闘が収まる様子はありませんね」と淡々と話した。彼自身にとっても、戦争は人生の転換点となった。

■夫と弟の遺体

 ストリレチャ村の人々が強いられた変化は、数多い悲劇の一例に過ぎない。家族を失った人、家を焼かれた人、国外への避難を余儀なくされた人は、ウクライナにあふれている。

 昨年2月にロシア軍に占領されたキーウ近郊の街ブチャで、ガブリリュク家のオリガさん(66)、イリーナさん(47)の母娘は、イリーナさんの夫セルゲイさん(当時47)と弟ロマンさん(当時43)を失った。ブチャは2月末、ロシア軍に占領され、母娘らは息子らとともに3月5日に街を脱出したものの、2人はペットのや犬の世話をしようと残留したのだった。その時はまだ、ロシア軍がそれほど危険だとは認識されていなかった。

 ロシア軍がブチャから撤退した後の4月4日、自宅に戻ったイリーナさんは、頭を撃ち抜かれた夫と弟の遺体が裏庭に放置されているのを見た。家は大破し、ロシア兵が内部で暮らしていた跡があった。

 彼女はその全てを記録し、ロシア軍の戦争犯罪を追及する国際弁護士団と連絡を取り、8月にはロシア国家を相手に、欧州人権裁判所(ECHR、仏ストラスブール)に提訴した。その後、容疑者のロシア兵3人が特定された、との連絡が国内捜査関係者からもたらされた。3人はいずれもロシア極東の第64独立自動車化狙撃旅団に所属し、3月12日に酔っ払って最初は別の家に侵入し、その後ガブリリュク家に来て2人を射殺したという。イリーナさんはこれらの情報をもとに、戦争犯罪にかかわった個人を訴追する国際刑事裁判所(ICC、オランダ・ハーグ)への提訴も準備している。

■「平和な時代」に殺害

 筆者はガブリリュク家と6月に初めて出会い、以後定期的に取材を重ねている。自宅を再建し、裁判の準備を進める彼女たちは、占領の被害をまだ脱しきれない近所の人々からも相談役として頼られている。家族を失ったとは思えない2人の活力と笑顔は、ウクライナの復興を体現しているかのように見えた。

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