世襲で運営するファミリー企業。その3代目として、社内に改革をもたらした女性社長がいる。ホッピービバレッジ(東京都港区)の石渡美奈社長(46)だ。
中学・高校は田園調布雙葉、大学は立教大学文学部。卒業すると大手食品メーカーに就職した。時代は男女雇用機会均等法の施行から4年後だったが、バリバリ働く気持ちは薄く、「OLの花道」とされた25歳で寿退社した。
思い描いた人生を実現したはずなのに、「明日から早起きしなくていいんだ」と喜んだのは退職日だけ。すぐに家にいることがつまらなくなり、広告会社の営業アシスタントとして再び働き始めた。しかし、夜遅くまで仕事に集中する働き方に夫婦間での意見は食い違った。結婚から半年で離婚した。
勤務先では本格的に営業を任され、“お嬢様”は目覚めた。
「仕事っておもしろい。一生仕事にかかわりたい」
同じ頃、父がビールの製造免許を取った。祖父の時代は規制が厳しく、夢にすぎなかった免許だ。本社ビル最上階にある自宅のリビングで、父は娘にポツリと言った。
「先代の夢だった免許がとれた」
跡を継ごうと腹をくくった。だが、家業に入ることに父は反対した。1年かけて説得したが、入社して分かった。派閥争いと退廃的な空気が待っていた。一回り年上の父方のいとこを次期社長に担ごうとする派閥があり、美奈さんの入社によって内紛に火がついた。
「売上高10億円規模の会社にとって、業績を左右するのは景気ではなく内的要因なんです」
入社した1997年から、売上高はじりじりと減り続けた。2001年にはいとこが退社し、連なる古参の幹部たちもごっそり辞めた。売上高は02年に8億円にまで落ち込んだが、美奈さんはそれで良かったと思っている。
「ウミを出し切ることは、企業の成長過程において必要なこと。それができたのは、私が3代目だったからかもしれません。初代と2代目が築いたものをいったんバラし、良い企業文化だけを残す。それが3代目の私の役割なのです」
創業から約100年、会社は改革を必要とする時期にきていたが、2代目は創業を支えた古参たちとのしがらみに縛られる。だが、3代目ならば、しがらみを振り切り、大ナタを振るうことができる。工場の不透明な取引にもメスを入れ、古い慣習を断ち切った。「低カロリー・低糖質、そしてプリン体ゼロ」という宣伝も浸透。売上高が約40億円になり、軌道に乗った10年、父は娘に社長の“バトン”を渡した。
※AERA 2014年6月2日号より抜粋