キース・ジャレットの新作『サムホエア』
キース・ジャレットの新作『サムホエア』

 ぼくはツイッターもブログもやっていない。そのくせ、批判的な意見をもっている。それはぼくがこれまで目にしたツイッターやブログによるものかもしれないが(いずれも音楽関係が多い)、ブログに関しては、雑誌でいうところの読者投稿ページに一方的に送りつけているようなものにしか思えない。昔でいえば、自分が聴いたレコードの感想文を封書で編集部に送るようなものというか。しかもほとんど毎日送る。
 こうした行為は、いうまでもなく「異常」だが、ネットはその異常性を正当化し、「みんながやってるから」「たまたま機能がついてるから」「そういう時代だから」という合意の上で、「昨日の異常」を「今日の当たり前」にしてしまった。

 ツイッターでぼくがわからないのは(とくに同業の評論家やミュージシャンの場合)、「リツイート」というのだろうか、自分のことを誉めているツイートを再掲していることだ。これはどういう心理状態が成せることなのだろう。そこには、「自分を誉めていないツイート」は無視し、「誉めているツイート」だけ「自分で再掲する」という、きわめて(大人げない)意図的な選択行為がある。
 ぼくはこれを「おかしい」と感じる。自分に有利な声だけ拾い上げ、不利なものは無視あるいは「なかったことにする」という行為は、自ら「評論家」の資格ゼロを宣言しているようなものではないか。どのような意見でもリツイートするか、賛否ひっくるめて一切しないかのどちらかしかないと思うのは、ぼくが実際にツイッターをやっていないからだろうか。自分にとって都合のいい評価だけ取り上げ、それ以外のものは無視するという行為を、他者の手を借りるならともかく、「自分の手」で日常的にくり返す行為は、やはり「異常」だと思う。
 この機会にもう少し憎まれ口を叩かせてもらえば、ツイッターに書かれていることは、とくにCDの感想に関するものは、「さっき新橋で牛丼食べておいしかった」という「つぶやき」と本質的に変わらないと思うのだが、これもまたそのようにしか考えられないぼくのほうが「異常」ということになるのかもしれない。

 「コンポスト(com-post)」に掲載された、キース・ジャレットの新作『サムホエア』に関するレヴューを読んだ。「なにそれ?」という人のために紹介しておくと、「コンポスト」とは音楽批評を主としたサイトで、この「ミュージック・ストリート」でもおなじみの後藤雅洋さん、原田和典さん、林建紀さんが同人として名を連ね、編集長でもある村井康司さんをはじめ論客が揃っている。キャッチコピーには、「言葉のゴミ溜めが豊かな土壌を生み出す可能性に賭ける試み」とある(そう、冒頭で書いたことを蒸し返すようだが、ツイッターもブログも、細心の注意を払わなければすぐに「言葉のゴミ溜め」と化す。ぼくには、ツイッターもブログも、その「ゴミ溜め」とそれをつつくカラスとの際限ない応酬に映ることがある)。
 キースの新作は、「コンポスト」の「注目作クロスレヴュー(pick up disc)」というコーナーで取り上げられた。ぼくも一度書いたことがあるが(ロバート・グラスパーを酷評した)、複数の人間が一枚のアルバムについて書くという企画。昔のスイングジャーナルの連載でいえば「話題の新譜・4つの意見」のようなものですね。
 ぼくが読んだときは、後藤、原田、村井三氏のレヴューが載っていた。簡単に評価を分類すると、後藤評=評価はするものの、もっと他にこれを上回るものがあるという、いかにもジャズ喫茶のオヤジさんらしい見解。思うにこれは「辛口」でも「酷評」でもなく、今回の新作に限らず、近年のキース及びスタンダーズ・トリオ盤に対するジャズ・ファンの最大公約数的な本音なのだろう。
 次に原田評=これはもう激賛・激賞。ぼくの感想は、原田さんほどではないが、心情的には近い。ただし原田さんほど素直ではない。ちなみにぼくの評価は、ジャズジャパン誌とHMVのサイト(スタンダーズ・トリオ特集)に書いたので、ここでは割愛します。補足すれば、ぼくはスタンダーズ・トリオの近年の作品中、今作ほど「腐っても鯛度」の高いものはないように思う。
 そして最後に村井評=とにかく1曲目がすごいという一点突破が、「そこまでの名演なのか」と聴く気を俄然起こさせる。逆にいえば、「他の曲はあえて特記する必要ありません」といっているわけで、総合すると、村井評は先の後藤評と原田評の中間に位置するものと考えられる。

 本題に入る前にひとこと述べさせてもらえば、ぼくは「クロスレヴュー」のような企画は、人数が多ければいいというものではないと考えている。選挙の出口調査と同じで、適正人員というものがあるのではないか。もちろん、人数が多ければ多いほど多種多様な意見が出揃い、それはそれで意味があるのだろうが、読んでいるほうにとって、あまり面白いものではない。「いろんな意見があるなあ」という程度の感想しか抱くことができず、結果としてそれは「読まなくてもわかりきっていること」に等しい。
 要は、複数の人間が書くことによって最終的に何が浮かび上がるか、あるいは何を浮かび上がらせるかだろう(読者を想定した場合、力点は後者に置かれるべきと思う)。その意味で、今回の評者が3人というのは、じつに読みやすく、なによりも『サムホエア』という作品がもっている強度と弱点が浮き彫りになっている(それはぼくが事前に『サムホエア』を聴いていたことにもよる)。
 思うに、筆者の人選にもよるが、この種のレヴューは最少3人、最大5人から6人前後がちょうどいいというか、一個の作品に複数の人間が言葉を費やし、その作品の何かしら本質的なものをあぶり出す行為における限界のような気もしないではない。このあたり、座談会の出席者数とどこか似ている。

 さて本題に入ります。「コンポスト」にキースのクロスレヴューがアップされるとほぼ同時に、後藤さんによる、次のような投稿が同サイトの掲示板に書き込まれた。
 「今回のキースのクロス・レビュー、どうやら『パス』する書き手が多いようです。それはいったいどういうことを意味するのでしょうね? 興味があります」
 これを読んで、ぼくも「いったいどういうことを意味するのでしょうね?」と思ったクチだが、たぶん「キースもスタンダーズ・トリオももういいよ」もしくは「さんざん語られ評価もされてきたから、いまさらいいのではないか」と思った筆者(同人)が多かったということなのだろう。
 それはそれとして、「パスする書き手が多かった」と知ったぼくが発した心の声は、「ガッカリさせるなよなあ、ったく」「甘ったれるなよなあ、もお」「それでも批評サイトなのかよ、おう」という、決して日常生活で発することのない、いささかヤーさんチックな悪態及び罵倒だった。
 キース・ジャレットは、プロの書き手に限らず、少しでも音楽あるいはジャズについて書きたいという気持ちをもった人間にとっては、言葉を費やさずにおれない数少ないミュージシャンのはずだ。マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンやビル・エヴァンスの次にひかえる「語りたいグループ」の筆頭に挙げられるだろう。ましてや「批評」を謳うサイトであり、そこに集う同人であるなら、千や万の言葉を費やして、キースの音楽に立ち向かうべきだろう。いや「べき」という言葉を使うまでもなく、そういう人たちが集まったからこその同人であり、自主サイトではないだろうか。

 ぼくは、作品の出来がイマイチだったからパスすることや、作品数が多く飽和状態であり辟易しているからパスすることを「卑怯」「逃避」と考える。もちろん、ぼくは各自がパスした理由や事情について知らない。しかし背景がどうあれ、キース・ジャレットの音楽に対して言葉を費やし、全人類を代表する気持ちを胸に最大限に称揚し、あるいは全盛期のシーク、ブッチャー、シンを合体させたかのような非人道的罵詈雑言で叩きのめしてこそ、はじめて「書く」という行為が成立すると考える。そこに批評的視点が盛り込められるか否かは、各自の力量に任せるしかない。
 他方、ぼくはパスをする、つまり「書かない」ことが、ひとつの評価や批評になりうるとも考えている。しかしその場合は、なぜパスをしたのか、なぜ書かないのかといったことを書かないことには読者に伝わらず、また積極的な批評として成立する確率は限りなくゼロに近い。
 さらにもう一点。依頼された原稿を拒否できるのは、稿料が発生する場合であることを知ってほしい。「コンポスト」のような自主サイトは、稿料が発生しないことが前提としてある以上、ましてやそのことを承知で参加した同人は、どのような事情があろうとも拒否することなく書かなければならない(この「稿料」と「書く・書かない」に関するパラドックスはわかりにくいかもしれないが、今回は横に置く)。
 批評であれ何であれ、ぼくは、音楽に対して言葉を費やせる本能をもった人間だけが、費やしたいという欲望をもった人間だけが、(やや大仰ながら)世界に向けて開け放たれた窓から言葉を発する権利を有していると思いたい。そういう人に音楽について、キースについて書いてほしい。それは「情熱」とか「オレは誰それより詳しい」といった次元で捉えられるべき問題ではないと思う。

 なおキースの「クロスレヴュー」に関しては、この原稿(5月20日執筆)を書いたあとに新たなレヴューが掲載される可能性もある。しかし最初に書かなかったという一点において、ぼくの評価は変わらない。作品の内容を問わず、キース・ジャレットについて黙っていられるような筆者は、書き手としての肩書がどのようなものであれ、「自称」にすぎない。しかしそれを選んだのは、ほかならぬ自分自身なのである。[次回6月10日(月)更新予定]

※「コンポスト(com-post)」に掲載された、キース・ジャレットの新作『サムホエア』に関するレヴュー
http://com-post.jp/index.php?catid=5