「80年代後半から電気やガス料金の収納代行をスタートさせていましたが、取扱件数や金額が年々伸びていました」
つまり、店内でお金を下ろす顧客ニーズを察知していたのだ。
ただ、そうはいっても金融筋には簡単には理解してもらえない。わずかにATM設置に賛同してくれる銀行があり、共同で銀行設立プロジェクトチームを組んだが、交渉に出向くメンバーは皆、沈んだ様子で帰ってくる。
その姿に鈴木は、「失敗してもいいじゃないか、失敗も勉強のうちだよ」と声をかけた。「責任はトップがとればいい」と内心思っていた。
風向きが変わったのは、新設銀行のトップが決まってからだ。数人候補がいたが、元日本銀行理事で、一時国有化された旧日本長期信用銀行の頭取として幕引きを果たした安斎隆と面会し、鈴木は「直感的に決めた」。福島弁が残る気さくな口調に裏表のない人柄が出ていた。