成果の発表から6年。山中伸弥・京都大学教授のノーベル医学生理学賞受賞が決まった。医学の常識を覆す万能細胞「iPS細胞」の開発を可能にしたのは、できて間もない奈良の大学に集った、たぐいまれな研究チームだった。

 スタート時の山中研チームは、高橋和利(現・京都大学iPS細胞研究所講師)、徳澤佳美(現・埼玉医科大学特任研究員)、海保英子(現・会社勤務)の3人に加え、助手の三井薫(現・鹿児島大学講師)、研究者をサポートする役回りである技官の一阪朋子(現・京大iPS細胞研究所テクニカルスタッフ)と技術補佐官の瀧川千尋(現・会社勤務)、ボスの山中の合計7人。うち女性が5人の「七人の侍」だった。

 とはいえ、例えば中核となるべき高橋は工学部化学系の出身で、生物学の知識はほとんどない。入学直後は講義についていけず、「何の目的でこの実験をしているのかわからない状態」というほどだったと、後に述懐している。山中も、博士課程を終えて間もない三井も、実験器具の扱い方から手取り足取り根気よく彼らを教えた。動物実験に強い一阪は、必要な準備から複雑なマウスの実験まで手堅くチームを支えた。

 皮膚や血液などの普通の細胞を万能細胞に変えるにはどうしたらいいだろうか? 山中はヒントを持っていた。米国で見つけたNATIという遺伝子は、万能細胞で必ず働いている遺伝子だった。ほかにも必ず、細胞を万能細胞に変える遺伝子があるに違いないと目星をつけた。

 2001年、理化学研究所が無料提供を始めたマウスの遺伝子データベースが大きな力を発揮した。マウスやヒトの遺伝子の数は全部で約2万。そのうち、万能細胞の中でだけ働いているとみられる遺伝子を24個まで絞り込んだ。

 しかし、それだけではまだ、研究成果とはいえない。24個のうち必要なのはどれか。どんな組み合わせなのか……。一つ一つの遺伝子の詳しい解析に取り組む一方で、チーム一同で知恵を絞った。

 突破口を開いたのは高橋だった。「まず、24個の遺伝子をまとめて細胞に入れる。そして、1個ずつ遺伝子を取り去ってみて、万能細胞ができなかったら、それが必須の遺伝子のはずだ」。

 このコロンブスの卵的発想に山中は「高橋くん、キミはホンマに賢いなぁ」と思わず褒めたという。24個まとめて入れるという「乱暴な」作戦は、生物実験の「シロウト」、高橋ならではのアイデアだったといえるだろう。

(文中敬称略)
AERA 2012年10月22日号