人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は「春を告げる小さな旅人」。
* * *
今年はまだなのだろうか。三月の声を聞いて、そろそろと思うのだが聞こえない。
つれあいにたずねるが、去年は確かにいたが、今年はまだだという。
花粉の入るのを気にしながら、窓を開けて耳をすますが……。
暖冬なのだから早いはずだが、コロナウイルスを避けて近づかないのだろうか。
広尾のマンションに移ってしばらく経ってからだから、二十年以上前のことである。このマンションには三十年以上住んでいて、その間に公園が整備され、並木が育ち、緑が落ち着いてからは毎年聞こえた。
「……ケキョ、ケキョ」
あれ、あの声は。いやいやそんなはずはない。六本木の隣駅で都心に位置するようなマンション、いくら植栽が豊富だといっても、いるはずがない。後ろ髪を引かれながら出かけた次の朝、また声がした。
「いや確かにあれは鶯だ」
「ホー、ケキョ、ホー」
少し巧くなっている。まだ信じていなかった。誰かがいたずらをしているのだ。真似ているにしては上手すぎる。
そうか録音して流しているのだ。ずいぶん手の込んだことをするなあ。
聞こえない日はほぼなかった。
「ねえねえ、あれは鶯よね」
つれあいも半信半疑だ。
そのうち「ホーホケキョ」と聞こえるようになった。二十日ぐらい経ってからだろうか。
そしてある日、外出先から四時頃早めに戻った日、玄関の階段脇の叢に、渋い褐色の小鳥が出入りするのを見た。あれは確かに鶯。鶯は、声は美しいが見た目は決して美しい鳥ではない。くすんだ色で目立たない。私は探鳥の仲間についていき、軽井沢で見かけたことがある。
鶯色が鮮やかな、黒目のぱっちりした鳥は目白である。梅の枝にとまっているのはたいてい目白で、鶯は人目につかない灌木の奥や叢にいる。
だが、確かにいたのだ。この目で見た。都心の広尾のマンションといっても通りをはさんで向かいは麻布である。