義昭さんが自宅に戻り、介護生活が始まった。週2回の通所介護(デイサービス)を利用するケアプランを作成。週3回の透析治療に通う必要もあるため、平日は、施設や病院の助けを借りて一人で外出する。

 その間、幸恵さんは介護から解放されるが、それでも、自宅にいるときはトイレに行くのもままならない義昭さんから目を離すことができず、幸恵さんにかかる重圧やストレスは増した。

 娘の尚子さん=仮名=は大阪府内のマンションに夫と小学1年生の息子と暮らしている。マイカーで40分程度の距離だが、小売店でのパートの仕事を持っていて、家事や育児にも手を取られるので、頻繁に実家の応援に駆けつけることもできない。

 尚子さんは母の体調のことを心配し、「お父さんの言うことを全部聞いて、何でもやってあげるのではなく、なるべく身の回りのことは自分でするように心がけたほうが、お父さんのためにもなるはず」とアドバイスした。

 体が思うように動かない義昭さんは、最初は頼んだことをすぐにやってくれない幸恵さんに対し、不満顔を見せることも多かった。しかし、しばらくすると、歩行器や手すりを使って自力で歩こうという姿勢を見せ始め、次第に身体能力が回復していった。

 義昭さんは、「要介護2」と認定されてから2カ月ほどで、自分でトイレまで歩くようになり、寝室などで利用するポータブルトイレを使うことがほとんどなくなるまでになった。

 幸恵さんは「退院して、家に戻ったときには、自分で起き上がることもできないので、近いうちに介護施設への入所も検討しなければいけないと思っていた。今は、少しでも長く自宅での介護を続けられるように、何をすればいいのかを考えている」と話す。

『「最期まで自宅」で暮らす60代からの覚悟と準備』(主婦の友社)の著者で、住生活コンサルタントの大久保恭子さんは著書の中で、「最期まで自宅」が幸せな四つの理由として、次の4点を挙げている。

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