5年前の8月、彼は一人で飲んでいた。彼も僕も知り合いの俳優たちも居合わせたのだが、酒で目の据わった坪内と彼らが口論になり、しまいに坪内は店を追い出されてしまった。1年後の梅雨の時期、番組出演者とburaに流れたら坪内が入ってきた。かなり泥酔の様子だった。お互いの近況話で盛り上がり、トイレに立ち、戻ってくるなり「さっき俺を『お前』と呼んだな」と態度が急変した。「お前だから『お前』なんだよ」と言い返すと、「なんだと!」と坪内は僕の腹にごく軽い、それこそ擦(さす)るようなグーパンチを食らわせた。僕らのそんなじゃれあいに周囲が噴き出し、僕らも笑いが止まらなくなった。
地下鉄半蔵門線に表参道から乗った僕を見つけた坪内が手を振り、隣同士の席に座ったのは昨年のことだ。「これから選考委員をしている講談社エッセイ賞のパーティなんだ」と言った。「(選考委員仲間の)林真理子さんや酒井順子さんも来る。楽しみだ」
半蔵門で僕は降り、神保町までの彼と握手して別れ、それが最後になった。
代々幡斎場は冬の雨だった。多くの編集者が参列する立派な告別式だった。涙で目を腫らせている若い編集者を何人も見た。デビュー作の記念の会で、「息子も立派な本を出すほどになりました」と坪内の父親がほっとしたように話したというエピソードを思い出した。
弔花に泉麻人さんの名前があった。昨年の暮れ、泉さんから「坪内君が延江君と会いたいと言っている。3人で飲もう」と連絡を頂いたのを思い出した。僕は候補日を出したがそれぞれの都合がつかず、こんな形の再会になってしまった。
※週刊朝日 2020年2月14日号