この「やっぱり」という感情は、現在の木村拓哉にとって最大の肝であることに間違いありません。しかし、例えば「やっぱり夏はサザン」や「やっぱり聖子ちゃんは永遠のアイドル」といった表現と、「やっぱキムタク、カッコイイ」には決定的な違いがあるのにお気付きでしょうか? 前者の主格人称代名詞は「WE」であるのが通常ですが、こと対象が「キムタク」になると、途端に一人称が「I」になるのです。「WE LOVE サザン」はしっくり来ても、「WE LOVE キムタク」にはどこか違和感がある。

 だからなのか「木村拓哉」には、いわゆる「国民的」な匂いがほとんどしません。世間は木村拓哉という男、もしくは日常の中でスタンダード化した「キムタク」という事象に、個人として向き合い続けているのです。これって凄いことだと思いませんか? ある意味、私たちは木村拓哉と闘っているのかもしれません。「できることなら負け続けたい」という不思議な願望を胸に。恐らくこの先も「かっこいいキムタク」は何度となく更新されるでしょう。その度に世間は「チキショー!」と悔しがりながらも、敗北の安堵に浸るのです。

 ひとりひとりが紡ぐ「私とキムタク」の日々。ちなみに熱狂的な木村拓哉ファンは彼のことを「拓哉」と呼びますが、私にその勇気はありません。ただひたすら今の関係性が尊いのです。

週刊朝日  2020年2月7日号

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