内館牧子(うちだて・まきこ 左)1948年、秋田県生まれ。東北大学大学院修士課程修了。NHK連続テレビ小説「ひらり」「私の青空」、大河ドラマ「毛利元就」、ドラマ「週末婚」などの脚本を手掛ける。『終わった人』『すぐ死ぬんだから』など著書多数。/北の富士勝昭(きたのふじ・かつあき)1942年、北海道生まれ。57年に出羽海部屋入門、70年に第52代横綱に。優勝10回。74年に引退、九重親方として横綱・千代の富士、北勝海らを育てる。98年に日本相撲協会退職後はNHK解説者として活躍中 (撮影/写真部・小黒冴夏)
内館牧子(うちだて・まきこ 左)1948年、秋田県生まれ。東北大学大学院修士課程修了。NHK連続テレビ小説「ひらり」「私の青空」、大河ドラマ「毛利元就」、ドラマ「週末婚」などの脚本を手掛ける。『終わった人』『すぐ死ぬんだから』など著書多数。/北の富士勝昭(きたのふじ・かつあき)1942年、北海道生まれ。57年に出羽海部屋入門、70年に第52代横綱に。優勝10回。74年に引退、九重親方として横綱・千代の富士、北勝海らを育てる。98年に日本相撲協会退職後はNHK解説者として活躍中 (撮影/写真部・小黒冴夏)
北の富士さんとの思い出の写真 (撮影/写真部・小黒冴夏)
北の富士さんとの思い出の写真 (撮影/写真部・小黒冴夏)

 内館牧子さんが「週刊朝日」で連載する「暖簾にひじ鉄」がついに900回を迎えます。記念対談のお相手は内館さんがOL時代に“追っかけ”、当時のツーショットを宝物とする元横綱北の富士勝昭さん。角界への思い、元気の秘訣……弾む話は待ったなしで続きました。

【写真】内館さんがOL時代に撮った北の富士さんとのツーショット写真はこちら

*  *  *

内館:きょうは懐かしい写真を持ってきたんです。ほら、北の富士さんとのツーショット。30代前半“追っかけギャル”時代の思い出です(笑)。

北の富士:こりゃあ蔵前国技館の頃ですね。

内館:私、破顔一笑でしょう。この写真を年賀状に印刷して「私、結婚しました」って書いて出したことがあるんです。そしたら勤め先の課長が奥様に「牧ちゃんの旦那さん、素敵な人ね」って言われたらしくて(笑)。この写真は今も仕事部屋に飾っています。北の富士さんは、この頃と変わらずお元気そうですね。

北の富士:いやあ3月には78歳。3年前に心臓の手術して、ようやく身体がなじんできたところですよ。

内館:心臓! 私も一緒!やっぱり追っかけやってたから、そういうのも伝染っちゃうんだ(笑)。

北の富士:不整脈が出てもガバガバ酒を飲んでたら、心臓を患って。

内館:私もおんなじ。不整脈が出てもジムに行ってました。でもお相撲さんって、昔は早世の人が多かったと思うんですけれど、今はそうでもないですね。ちゃんこで野菜から肉から全部食べられるからいいとか、1日2食だからいいとか、あるんでしょうか。

北の富士:まあ、今の力士の身体は大きくなりすぎだと思いますよ。ちゃんこだけなら、あんなに大きくならない。今は平均で160キロくらいあるでしょう。僕なんかいくらがんばっても136キロ。大鵬さんの晩年で150キロくらいでしたから。今の力士と比べると細いですよ。

内館:「横綱北の富士の全盛時代」に、今の大型力士と取ったらどうですか?

北の富士:白鵬以外には勝てますよ。

内館:白鵬とはダメなんですか?

北の富士:僕は大鵬さんと悪かった。白鵬は大鵬さん系で、しかも大鵬さんより大きいじゃないですか。大鵬さんにたまに張られると、ズシンと重かった。

内館:白鵬はあんなエルボーみたいな「かちあげ」とは言えないことをやめれば、もっと愛されるのに。

北の富士:たしかに、かちあげじゃないですよね、彼のはね。最初は彼だって双葉山や大鵬さん目指してたわけだから。最後はやっぱり勝ちたいっていうほうが勝っちゃったんじゃないですか。もう手段を選ばない。相撲の強さっていう面ではだいぶ力は落ちてきてますから。ただ身体の手入れの仕方はすごい。稽古も普通の力士の3倍から5倍はやってるんですよ。食事にも気を使っている。

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