夏になると、上半身裸でステテコ姿の男性はごく当たり前。東京都がオリンピックを前に都内の各家庭に配布したチラシには、「立ち小便はやめましょう」と書いてあった。立ち小便が当たり前だったからだ。

 新幹線以外の長距離列車はトイレが垂れ流し。トイレに入ると、下に線路が見えた。沿線では洗濯物に黄色い斑点がつくことがあり、「黄害」と呼ばれた。驚くべき衛生観念。でも、これを当たり前だと人々は受け止めていたのだ。

 数年前、ロシアのハバロフスクからウラジオストクまでシベリア鉄道に乗ったとき、トイレの下に線路を発見。懐かしかった。

 東京オリンピックのレガシーとして新幹線や高速道路が挙げられるが、最大のレガシーは、日本人のマナー向上だったと私は思う。

 日本が俗に「先進国クラブ」と称されるOECD(経済協力開発機構)に加盟したのも64年。日本はオリンピックを開催したことで、先進国の仲間入りを果たしたのだ。

 当時のサッカーの試合の写真を見ると、観客席が黒一色に染まっている。サッカーファンがあまりに少なく、入場券は売れない。このままでは観客席がガラガラになってしまうと心配した東京都は都立高校生を動員。みんな興味もないのに詰め襟の学生服姿で観客席に座っていた。いまからは考えられないこと。もったいないことだった。

 それでも体操女子個人総合優勝のチェコスロバキア(当時)のベラ・チャスラフスカ選手は「五輪の名花」と謳(うた)われ、その華麗な演技は多くの人を魅了した。

 しかし4年後に起きたチェコの民主化運動「プラハの春」に参加した彼女は、ソ連軍の戦車によって民主化運動が踏みつぶされた後、表舞台から姿を消した。多くの日本人ファンが心配したものだ。チェコを含む東欧諸国が民主化されたことで、彼女は再び表に現れ、私たちをほっとさせた。

 オリンピックには国際情勢が影を落とす。当時は東西冷戦時代。ドイツは東西に分裂していたが、東京オリンピックでは統一チームを結成した。さしずめ今なら南北朝鮮統一チームの結成のようなものだ。

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