

1969年の連載開始から50年、作家・五木寛之さんが描き続けるのが『青春の門』だ。75年の映画化の際、ヒロイン・織江役に抜擢された大竹しのぶさんと五木さんが対談を行った。前編では、五木さんの著作や原動力について語り合ったが、話は“歌”へ……。
【前編/五木寛之と大竹しのぶが語る“原動力”「他力は自力の母」】より続く
五木:大竹さんが、僕の本を読んでくれていたなんて、うれしいです。あの織江ちゃんがねえ(笑)。
大竹:私も、今もときどき人から「織江ちゃん」と呼ばれることがあるんですよ。とにかくその天国の考え方が、今も強烈に記憶に残っていまして。みんな優しくなりましょう、ハッピーになりましょうと言ったほうが、わかりやすい。でも、そうじゃないところから見ている視点がおもしろかった。たしかに、苦しいことや悲しいことを知っているほうが、優しくなれる部分、ありますよね。
先生はああした視点を、経験から学ばれたのでしょうね。
五木:僕はほとんど耳学問で育ってきたんです。こうやって対談して、いろんな人の話を聞くのが勉強。すべて「耳学問」なんです。古い言葉で「面授」といいますけど。まあ、多少は活字も読みますけど。
大竹:多少、なんですね?
五木:今日の大竹さんも先生(笑)。最近特に、なぜか織江のことが気になるんです。山崎ハコさんが歌った「織江の唄」の中に「織江も大人になりました」という歌詞があるけど、本当に大人になったね(笑)。いつか小説のなかでも織江を、大竹さんのように紅白に出させようと思っている(笑)。僕のなかで抜群に歌がうまい女優さんというと、まず大竹さんですから。
大竹:先生が、私が歌を歌っていることを知っていてくれるなんて……うれしいです。私も歌を聴いてくれる人がいる限り、歌いたいなというのが最近の目標になっているんですよ。ツアーも多くはできないんですけどやっていて、音楽は直接的にお客さんとつながれる感じがして。先生も音楽と関わっていらっしゃいますよね。
五木:両親は教師でしたけど、軍国歌謡が全盛期の戦争中に、母親はひとりでオルガンを弾きながら、「雨降りお月さん」などの童謡を歌っていたような人でした。僕がそのころの童謡をよく知っているのはそのせいだと思います。