「役に立たん人間は切って捨てろということだぞ」と獣医。寅さんも「生産性がないから」と見捨てられるのだろうか。

 松坂慶子さんがマドンナとなった第27作「浪花の恋の寅次郎」(81年)の舞台、大阪の下町も寅さんが「元気かい?」と言ってひょっこり顔を出しそうな街である。

 いまも大衆演劇専門の劇場や成人映画専門の映画館、「生ビールまたはチューハイ、ゆで卵と塩昆布付きで350円」と看板を掲げた立ち飲み屋がある。朝6時から営業している銭湯、1杯170円の立ち食いうどん屋もある。

 前段で挙げた「スカブラ」で思い出したのだが、何かあれば苦情が寄せられ、ネット上でバッシングされる世の中。異質な存在や寅さんのようなある種の「はみ出し者」を排除する「不寛容社会」の空気は、露天商の世界にも広がっている。

 蛇女やタコ娘などおどろおどろしい絵看板を掲げた見世物(みせもの)小屋も姿を消した。「怪しさや怖さが少なくなり、見世物の魅力が薄れた」と興行関係者は不満をぶつける。

 お好み焼き、クレープ、フランクフルト……。露店も飲食物を扱う店が大半。昔はお祭りに行くとちょっと怖いお兄さんがいた。口八丁手八丁でインチキ臭そうな品物を売りさばく人もいて楽しかった。

 そんな時代が懐かしい。

 それにしても96年8月4日、渥美さんが転移性肺がんのため68歳でこの世を去ったとき、映画「男はつらいよ」シリーズは幕を閉じた、とファンの多くは思っていた。

 御前様を演じた笠智衆さん、印刷工場のタコ社長役の太宰久雄さん、おいちゃん役の森川信さん、松村達雄さん、下條正巳さん、おばちゃん役の三崎千恵子さんも鬼籍に入った。

 御前様の娘役で初代マドンナを務めた光本幸子さん、寅さんのテキヤ仲間・ポンシュウ役で、渥美さんの無二の親友だった関敬六さんも他界している。

 関係者によると、「『男はつらいよ』をよみがえらせることはできないか」と山田監督がぽつりとつぶやいたのは、映画「母と暮せば」公開直後の2015年暮れである。だが、その後の経緯についてこの場で詳しく書くことはよそう。何より紙幅が足りない。ただ、四半世紀以上にわたって築き上げてきた監督とスタッフ、キャストとの厚い信頼関係がなければ実現しない企画だったことは申し上げておきたい。

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