それは、官僚が、「今回もどうせ安倍総理は逃げ切る。マスコミも野党も検察も当てにならない。自分が真実を話せば、逃げ切り後の安倍政権に報復される」と考えるからだ。政治家が認めるまでは、官僚は真実を隠し続けるしかない。
逆に言えば、政治家が真実を話せば、「廃棄した」はずの文書もすぐにどこかで「発見」されるはずだ。
今や、霞が関は無法地帯。証拠隠滅してもお咎めなし。全てのルールは安倍総理が決める。「私は関与していない」と総理が言えば、「関与を示す文書は出すな」というメッセージとなる。行政のガバナンスの完全崩壊だ。もちろん、文書がなければ、国民の代表たる国会議員も、政府をチェックできない。政府に対する国民のガバナンスが全く機能しない異常事態。日本は、民主主義国家の名に値しない国に成り下がってしまった。
さらに言えば、その根本にあるのは、国民の規範意識の崩壊だ。本件について、「どうしていけないの?」「たいしたことじゃない」という声がネットに広がり、それを公言する「有識者」まで出る始末だ。追及する記者や野党議員へのバッシングさえ行われる。
総理を筆頭に、政治家、官僚、検察、裁判所という支配層だけでなく、民主主義を支える国民の倫理規範までが歪んでしまったとしたら、この国の危機は臨界点に達していると言わざるを得ないのではないか。
※週刊朝日 2019年12月6日増大号