手紙のやりとりが続いていた三島さんは、その頃益々健康で、仕事も旺盛で、一向に死にそうにありませんでした。「それでがっかりした」と、手紙を出したら、御当人から、
「自分もそう思っている。まわりの老人の作家のようにはなりたくない」
って言ってきましたよ。
その頃、まさかヨコオさんと私がこんな仲好しになるなんて、夢にも思わなかった。
三島さんがボディビルをして、もりもりした躰つきになる前は、ほっそりして、感じ易そうな顔付で、私がはじめて逢った若い頃のヨコオさんによく似ていましたよ。
平野啓一郎さんが、いつも私のことを羨ましがるのは、私が、日本の作家の大御所たちのほとんどと逢って、口を利いたことさえあるということです。
私の書いたものの中で一番上等なのは、この世で私が逢った作家たちのことを書いた『奇縁まんだら』だと、丸谷才一さんがほめてくれた連載の挿絵を、ヨコオさんが描いて下さって、その絵がすばらしく、私の文を読まない人まで、ヨコオさんの描いた作家たちの挿絵を見たがるという現象が生れましたね。神戸のあなたの美術館で展覧会もしてもらい、ずらあっと、並んだその肖像画の迫力は、想いだしただけでも身震いがでます。
でも、あの中に私はまだ入っていないので、今のうちに、私の絵も描いておいて下さい。
先日、うちの秘書の「まなほ」あてに、ヨコオさんが私の絵を送れと云ってくれたので、まなほがすぐ私の水彩画を送ったらしいですね。
まなほがニヤニヤして、ヨコオさんがすぐ送って下さった感想文のファックスを今、見せてくれました。
「瀬戸内さんの絵びっくり仰天です。絵の繊細さに対してシッカリした力強い書、この書には生命力が宿っています」
という最高の讃辞ではありませんか!!
「ホラ、見ろ! もっと私を尊敬しろ!」と、まなほの頭を叩いてやりました。書とは、ペンペン草の絵が左に片よりすぎたので右の余白に「切に生きる」と書いたものです。大丈夫! 作家をやめて絵描になろうなど、誰かさんの真似(まね)はしませんから。
ご病気が一日も早く全快なさいますように!!
※週刊朝日 2019年9月27日号