9月6日に13歳の誕生日を迎える秋篠宮家の長男、悠仁さま。中学へ進級したこの夏は、初めての海外体験となるブータンを訪問した。親しく交流しているブータン王室から招かれる形で、秋篠宮ご夫妻に同行しての、私的な旅行であった。ここで注目を集めたのが、悠仁さまの紋付き羽織袴姿であった。
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皇室に着物を納めている、「染の聚楽」代表の高橋泰三さんは、笑顔でこう話す。
「悠仁さまは、両胸と袖、背中に五つの紋をつけた最も格式の高い、黒無地五つ紋の羽織袴をお召しでした。将来の天皇が和服を身に着けてくださったのは、嬉しい限りです」
この五つ紋として付けられているのは、秋篠宮家の「家紋」だ。14弁の菊の周りに横向きの菊花と秋篠宮さまのお印の栂(つが)の枝葉があしらわれた紋章である。
宮内庁幹部や元侍従らは口々に、こう漏らした。
「男性皇族が、カメラのある場で和装をお召しなのも珍しい。加えて羽織袴は、もともとは武士や町人の礼装ですから、少し驚きました。まあ、天皇や男性皇族が即位行事や宮中三殿などでの祭祀で用いる『伝統装束』といえば衣冠束帯ですが、確かにブータンで着るのもヘンですからね」
悠仁さまの紋付き羽織袴姿は、よほどインパクトがあったのだろう。SNS上でも賛否両論が交わされた。
女性皇族の和装姿は一般的だが、そもそも「羽織袴」以前に、天皇や男性皇族の着物姿を記憶する人は、ほとんどいないはずだ。
というのも、明治以降の皇室において、宮殿行事など公式な場における正装は、洋装とされている。
戦後になって女性皇族は、紋付きの色留め袖や訪問着でお出ましの機会も増えたが、天皇や男性皇族は、スーツやブラックタイ、ホワイトタイが通例だ。
先の高橋さんが言う。
「昭和の時代、羽織袴をお召しになってほしいという京都の着物業界の要望に、宮内庁は『民間の礼装なので公式な場では、難しい』と答えたと聞いています」
ただ、私生活では和装で過ごすこともある。昭和48年、皇太子時代の明仁上皇は、住まいの東宮御所に豪州の高官夫妻を招き、羽織袴姿で接遇している。元侍従もこう話す。
「平成の時代。天皇だった明仁陛下は、年の瀬が近づくと御所で和服をお召しになり、和歌を筆で清書しておられました」
マスコミが同行したとはいえ、ブータン訪問は私的旅行との位置づけだ。
「あちらの王族が民族衣装で歓迎してくれたので、紀子さまと悠仁さまも『日本の民族衣装』として、お召しだったのでしょう。そもそも、天皇や男性皇族の和の正装が、古式装束しかない点が、問題なのでしょうね」(元侍従)
(本誌・永井貴子)
※週刊朝日 2019年9月13日号