作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。今回は「伊藤詩織さんの民事裁判で思い出した差別」について。
* * *
20代の頃、取材先の男性を激しく怒らせたことがある。私の話し方がフランクすぎると言い、「土下座しろ!」と怒鳴られた。外科医だった。
それからが大変だった。私に仕事をふった会社の人総出で謝りに行った。とにかく彼の気持ちをなだめようと笑ってうなずき続ける謝罪で、むしろバカにされてると思わないのかと不思議だったが、医師は「当然のことをされている」といった調子だった。
そんなことを、伊藤詩織さんの民事裁判を傍聴し、思い出した。
2015年4月に、元TBSワシントン支局長の山口敬之氏と就職相談のために会食している途中で伊藤さんは意識を失い、気がつくとホテルで性交中だった。準強姦(ごうかん)容疑で逮捕状が出されたが、執行直前に取り下げられた。伊藤さんは検察審査会に訴えたが、不起訴相当と判断された。民事裁判は伊藤さんにとって、事実を明らかにする最後の手段だ。
裁判は被告の人生も大きく変える。山口氏も必死で、「伊藤さんは嘘(うそ)をついている」と攻撃的な闘いを選んだ。そのことは知ってはいたが、実際に法廷で語られたことは衝撃だった。
山口氏は伊藤さんが積極的に誘ってきたと主張し、理由をこう推測する。
“私物に嘔吐(おうと)されたので、不機嫌になり、部屋の中が険悪になった。伊藤さんは謝罪として誘ってきた”
僕の怒りをおさめるために女がセックスを提案してきた、というのだ。その発想に私は息をのんだのだった。自分の怒りは誰か(主に女)がなだめてくれるという前提で生きている人じゃないと思いつかない発想だ。だが、もしかしたら地位のある男性には、フツーのことなのか。20年前の惨めな記憶がよみがえった。
山口氏の答弁には矛盾が多かった。「嘔吐で窒息するのが心配なのでホテルに連れてきた」と言いながら、吐瀉(としゃ)物に怒る。伊藤さんの弁護人が冷静に「ホテルで嘔吐する可能性は考えなかった?」と聞けば、「必ず嘔吐するとも、絶対しないとも誰もわかりません!」と声を荒らげるのだった。