●60年代のジョー・ヘンダーソン
2000年に発売された、マーク・シム『タービュレント・フロウ』(Blue Note,1999年録音)を聴いた時は本当に驚いた。ジョー・ヘンダーソンにソックリなのだ。ついにこういう時代になったのだなあと思ったものだった。だが、この私の感慨には少し説明が必要だろう。
私がジャズを聴き始めた1960年代、テナー・サックスのスターといえばなんと言ってもソニー・ロリンズにジョン・コルトレーンだった。そこから少しずつ枝葉を伸ばし、デクスター・ゴードンやらその頃の新人、ウエイン・ショターに触手を伸ばしていくのがふつうのジャズファンのコースだったように思う。
ジョー・ヘンダーソンはもちろん知っていたけれど、入門者のお買い物順序では50年代ハードバップのスター、ジョニー・グリフィンやハンク・モブレイとさして変わらなかったのではなかろうか。ジョーヘンは60年代新主流派の主要メンバーで新譜を出しまくっていたのに、あまり彼の熱心なファンにはお目にかからなかった。
やはりコルトレーンの呪縛は大きかったのだろう。激しさという尺度で見ればジョン・コルトレーンや彼に影響を与えていたフリー・ジャズの面々、アーチー・シェップやらアルバート・アイラーの方が徹底していた。また、いわゆるハードバップ・ファンにしてみれば、ジョニー・グリフィンやハンク・モブレイの方がわかりやすい。つまり彼がデビューした60年代の時点では、彼の個性にまで目が行き届かなかったのだ。
●80年代で再認識
その事情が変わり始めたのが80年代も半ばに差し掛かったころだ。マイルスが復帰し、ウイントン・マルサリス一派が活躍し始めたが、70年代のように「新しい何か」が生れるという気分ではなかった。シーンの動きといえば、スティーヴ・コールマンたち“ブルックリン派”の登場ぐらいだろう。
こうした少しばかり停滞した時代を背にして出たのが、ジョー・ヘンダーソンの2枚のアルバム『ヴィレッジ・ヴァンガードのジョー・ヘンダーソン第1集』『同、第2集』(Blue Note)だった。地味で渋い演奏だが、聴くほどに味が出てくる。これを聴いてファンはジョー・ヘンダーソンという存在に改めて光を当ててみる気になったのだ。そうしてみると、ジョン・コルトレーンやソニー・ロリンズの大きさに変わりはないものの、ジョー・ヘンダーソンだって素晴らしいテナー奏者であることを再認識したというわけだ。
●ジョー・ヘンダーソンの生涯
1937年オハイオ州に生れたジョー・ヘンダーソンは62年ニューヨークに進出し、ケニー・ドーハムとコンビを組んで活動し、ジャズファンの知るところとなった。この時期リーダー作、サイドマンとしてブルーノート・レーベルに大量の作品を残しているが、それらは“ブルーノート新主流派”という括りで語られることが多い。『モード・フォー・ジョー』もそうした作品で、50年代ハードバップとは明らかに一線を画する斬新さがある一方、当時の最先端と思われたフリー・ジャズにまでは走らない微妙なスタンスを保っていた。この微妙さが当時は理解されていなかったということなのだろう。
フュージョン旋風の70年代に入るとロック・グループ“ブラッド・スェット・アンド・ティアーズ”に参加するが、ジャズ・シーンでは忘れられた存在となっていた。それが85年に新生ブルーノートが企画した『ワン・ナイト・ウィズ・ブルーノート』のコンサート出演をきっかけに再びファンの注目を集め、90年代以降はマーク・シムなど多くの若手テナー奏者に影響を与える存在にまでなったが、2001年惜しくも亡くなってしまった。
【収録曲一覧】
1. ア・シェイド・オブ・ジェイド
2. モード・フォー・ジョー
3. ブラック
4. カリビアン・ファイア・ダンス
5. グランテッド
6. フリー・ホイーリン
7. ブラック(別テイク)
ジョー・ヘンダーソン:Joe Henderson (allmusic.comへリンクします)
→テナーサックス/1937年4月24日 - 2001年6月30日