作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。今回は「男性の#MeToo」について。
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70代の男性と、性暴力について話した。彼の娘が、夜道で男に背後から首を絞められたことがあるという。幸い人が通りかかり、男は逃げた。
帰宅した娘に話を聞いた彼は「夜中の女の一人歩きは危険なんだ!」と思わず言ってしまった。その時、娘はただ一言、「どうして?」と彼の目を見た。その「どうして」が、彼は忘れられないと言った。なぜ女性の一人歩きが危険なのか。なぜ娘に落ち度があるようなことを言ったのか。彼は娘の「どうして」が残り続けているのだ。
男性の#MeTooについて考えている。性暴力に抗議するフラワーデモには、男性たちも参加する。性暴力被害者のほとんどが、成人女性と子どもだが、幼い頃に性被害を受けた男性たちの声は、数字として表に出てこない。それでも私のもとには、小・中学生の時に担任や塾の先生、近所の大人から性暴力を受けた経験を訴える男性たちの声が届く。「絶対に他の人には言わないでほしい」と始まる過去の暴力の告発は、「それでも聞いてほしい」という切実さに溢れている。男性が性暴力を告発することは、性暴力被害者の多数が女性である現実の前に、とても難しい。被害を受けたこと自体が“女性のようにさせられた”屈辱であると、被害者自身が考えてしまうからだ。“男なのに”性被害者であることの語りにくさの背景にも、性差別構造が根深くあるのだ。
そういう意味で、男性の#MeTooが始まるのは、女性の#MeTooどころではない高いハードルがあるだろうと思っている。それでも、これまでフラワーデモを通して実感せざるを得ないのは、多くの男性に、#MeToo感がないことだ。「最近、性差別があることを知りました!」「性差別、僕は許さない!」という感想から、刑法を解説しようとする男性たちがフラワーデモで後を絶たない。「性差別があることを知らなかった」と女性たちの前で語る大学生を良い子なんだろうな、と思いながら、願わずにいられない。男性の#MeTooを男性たちでしてほしい。自身の性を振り返ってほしい。