『オネエ』という言葉は、とうの昔から存在しました。しかしそれを平成的カジュアルワードに押し上げた最たる功労者と言えば、美川憲一さんです。美川さんが空前の復活劇で世を席巻したのが1990年(平成2年)のこと。あの煌びやかな出立(いでたち)と化粧、ねっとりじっとりとした口調や存在そのものが、改めて『オネエ』の輪郭を一から築き上げました。言わば美川さんの復活によって『オネエ』はセクシャリティや性癖ではなく、芸風やキャラを表す『テレビ用語』になった。現在浸透している「だわ~」「よ~」といった典型的なオネエ口調は、ほとんどが美川さんのイメージから根付いたと言えます。実際にあのような喋り方をするオネエさんは昭和の頃からいましたが、あれを『標準語』にしたのは紛れもなく美川さんの存在でしょう。

 私はとにかく美川さんに夢中でした。男が好きとか女が好きとか関係なく、ただただ『異形』として淀みなく存在する圧倒的な爽快感に憧れた日々。紅白歌合戦では如何に曲とかけ離れた衣装と演出で出てくるのか。ご自身だけでなく他人様のスキャンダルの時でさえ成田空港のロビーで記者会見を開き、さあ今度は何を言うのか。とにかく私にとっての平成の3分の1は美川憲一で形成されたと言っても過言ではありません。

 やがて自分がテレビに出るようになり、思いの外ちやほやされる状況に戸惑っていた頃、初めて美川さんにお会いしました。開口一番「アンタ、気取ってないで、もっとブチかましなさいッ!」と言われました。あの名調子で。それは美川さんが標準化した『オネエ』が、いよいよ日常的になろうとしていた最中。奇しくもその年から美川さんは紅白に出場していません。私レベルの異形にとっては、いまだ『憧れ』のまま。私は今日も気取っています。

週刊朝日  2019年5月17日号

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