作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。北原氏は、50代の女友だちと過去の性暴力について話をしたという。
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性暴力被害の話を女友だちとした。数十年も前の記憶でも、それは鮮やかな光景としてすぐに蘇ってしまう。話したことのない過去でも、なぜか詳細に語ることができる。それはきっと、心の中で何度も何度も繰り返し自問してきたからなのだろう。「いったい、あれは何だったのか」と。
「あれは性暴力だったって、最近気がついた」と50代の女友だちが言う。大学生の頃、バニーガールのアルバイトをしていた。仕事終わりに職場の車で送られるのだが、彼女の家は一番遠く、最後は運転手の男と2人だけになるのが常だった。ある日、気がつくと男は人通りのない山道を走り、暗闇に車を止めた。そして助手席にいた彼女に「舐めて」と唐突に言ったという。「え? 嫌ですよ~」と冗談っぽく笑ってみせるが、男の真剣な顔に、選択肢がないと彼女はとっさに判断した。
彼女はそれを「性暴力」だと長年思わないでいたという。なぜなら「私が選択したことだから」と。車を降りず、泣き叫ぶこともせず性器を舐めることを「選択した」のだから。
「だけど、違ったんだよね」と彼女は重大な発見をしたように話してくれた。「圧倒的に不利な状況に置かれているのが、性暴力だったんだよね」
別の友人は深夜、目が覚めたら寝室に見知らぬ男がいた。「やらせろ」と覆い被さってきた男に、彼女はとっさに「キスならいいよ」と言い目をつむったという。客観的にみたら完全な犯罪だが、彼女は警察に行かなかった。なぜなら「キスを提案したのは私。これは事件じゃない」と考えたのだ。
真夜中の山道で車から降りるのか、殺される覚悟で抵抗するか。被害を軽くしたいと「キス」を提案するか。どちらにしても今の刑法で「抵抗」しなかった女性の行為が「被害者」として司法に“受け入れてもらえる”確率はどのくらいあるだろう。