オヤジは旧陸軍で航空学校の教官をやっていました。今、部屋に飾ってある飛行機の模型は、オヤジが乗っていた練習機です。
オヤジは、多くの教え子を戦争で死なせてしまったことを悔いていて、声をかけられても二度と操縦かんを握ろうとしませんでした。「どのツラさげて飛行機に乗れるか」と言って。おかげで家は貧乏でしたが、僕はそんなオヤジが大好きだったし、今でも自慢に思っています。
復員してきた直後に炭焼きをやっていて、そこで星空を見上げながら、いろんな話をしました。夜中に海の上を飛んでいると、どっちが上だか下だかわからなくなると話していました。僕が「火星人っているかな?」って聞いたときは、「どうだろうな」と答えましたね。オヤジのおかげで、星が好きになり、宇宙に興味を持ったんです。
だから、本当は大学の工学部に進んで、エンジニアになりたかった。この手でロケットを開発し、宇宙旅行を実現したかったんです。
実は、地元の九州の大学の工学部に合格していた。ところが、うちには進学するお金がなかった。教室で担任の先生に「松本、お前、合格しているのにどうするんだ」と言われたときは、つらかったですね。
親に「すまん。お前を大学にはやれない」と謝られたときに、「わかった。なら俺が漫画で稼ぐから、弟を大学にやってくれ」と答えたのを覚えています。
弟は九州大学の工学部に進み、大学院で博士号を取り、三菱重工に就職しました。のちに「宇宙戦艦ヤマト」などのアニメを作るときには、技術的なアドバイスをしてくれてずいぶん助けられました。
漫画家になってからも、心の片隅には「エンジニアになっていたら……」という思いが残っていました。あるとき、日本の宇宙開発の父と言われる糸川英夫博士に、そんな気持ちを打ち明けたこともありました。すると、糸川先生は、ぼくの背中をパーンとたたいて、「大学に行く道を選ばなかったから、今の君があるんじゃないか」と言ってくださった。その言葉でやっと、自分はこの道を進んできてよかったんだと、心の底から思うことができましたね。