「やっと完済したと聞きました。党の金庫番で借り入れを担当した古参の職員が約10年前に定年になった後も居続けたのは、銀行への返済が終わっていなかったことも関係していたそうです。これで大きな区切りがつきます」
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融資の経緯を知る自民党関係者はこう打ち明ける。昨年11月末に公表された自民党本部の政治資金収支報告書や関係者の話などによると、大手銀行から借りていた計100億円を2017年3月に完済した。
そもそも、巨額の融資が実行されたのは、自民党が初めて野党に転落した1993年7月の衆院選にさかのぼる。収支報告書などによると、6月30日付で、当時の都市銀行8行(三菱、三和、東海、住友、さくら、第一勧業、富士、大和)から12億5千万円ずつ、計100億円を借りた。8行は経営統合を経て、現在の三菱UFJと三井住友、みずほ、りそなの4銀行に集約されている。
当時の朝日新聞の報道によると、融資は「衆院選挙用の資金」だったという。自民党は政治改革関連法案をめぐり分裂していて、融資直前の6月18日には野党提出の宮沢喜一内閣の不信任案が、小沢一郎氏らの造反によって可決。宮沢首相は解散総選挙に踏み切った。
この急な解散総選挙に対応するため、巨額の資金がすぐに必要だった。93年の自民党の選挙関係費を含む支出総額は約250億円。党費や寄付収入は離党者などの影響もあって、前年の188億円から129億円に激減している。その穴を埋めるためにも計100億円の融資は欠かせなかった。
融資後に実施された衆院選では、小沢氏ら自民の離党者が立ち上げた新生党や新党さきがけが議席を伸ばし、細川護熙氏が旗揚げした日本新党も躍進。自民党は過半数の256議席を下回る223議席にとどまった。細川首相の非自民連立政権が93年8月9日に発足。自民の一党支配と55年体制が崩れた瞬間だった。
所属の国会議員が激減し、自民党の財政状況は一気に苦しくなった。その危機を乗り越え、94年6月の自社さ連立政権で与党に復帰できたのは、100億円というカネがあったからとも言える。