『ギル・エヴァンス:アウト・オブ・ザ・クール/ヒズ・ライフ・アンド・ミュージック』ステファニー・スタイン・クリース著
『ギル・エヴァンス:アウト・オブ・ザ・クール/ヒズ・ライフ・アンド・ミュージック』ステファニー・スタイン・クリース著
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●第1章ストックトンの冒頭より

 1987年10月初旬、ニューヨーク。

 のどかなある日、ギル・エヴァンスは一人の友人とともに、セントラル・パークのど真中の、樹木の生い茂った森の小道を散策していた。彼は、足取りも軽く、青い目を輝かせている。爽やかな朝の一時が、年老いた皺だらけの顔を和ませる。

 当年とって75歳のギルは、この数か月にわたり、いつになく多忙な日々を送っていた。彼は夏の間、自身のオーケストラを率いて、オランダ南西部のハーグ、フランス南部、イタリアで公演を続け、もっとも最近では、4日の日程でブラジル・ツアーを行っていた。彼はようやく、西75丁目から半ブロックの、エレベーターのない小さなアパートの5階にある、スタジオも兼ねた自宅に落ち着いたところだった。

 ギルはさらに、森の奥へと入り、着古したジーンズとフランネルのシャツのポケットの中を手探りした。そして、オークの大木にもたれて、小ぶりのマドロス・パイプを取り出し、皮袋のマリファナを詰め込んだ。彼は無言で、友人にパイプを差し出し、自らも、二度ゆっくりと吸いこんだ。ギルは、シエラ・クラブ(米国の自然環境保護団体)のカタログから取り寄せた鳥の呼子を取り出した。呼子の真に迫ったさえずりはーー耳障りなノイズでもなく、金属質のサウンドでもないーー無数の鳥を惹きつけた。オークの大木の周りには瞬く間に、鳥が群がっていた。

 ギルは、さえずりを聞き分けることができる、およそ10種類の鳥の名を挙げて、鳥が奏でるハーモニーを満喫するべく、一息ついた。彼は、我を忘れて、そのサウンドに夢中になった。ギルは突然、か細い腕をいっぱいに伸ばすと、結成したばかりの彼のオーケストラを、驚嘆しつつ歓迎した。

 ギル・エヴァンスことギルモア・イアン・アーネスト・グリーンは、1912年5月13日に生を享けた。母親マーガレット・ジュリア・マコーナキーは、40代の後半で彼を出産する。彼女は、冒険的で想像力に富んだスコットランド系アイルランド人の女性であり、母親の気質が、息子に受け継がれたのである。

 ギルの実父や彼と母親の関係に関しては、ほとんど知られていない。だが、彼が子供の頃に母親から聞いた話によれば、医者だった父親は、彼が生まれる前に、すでに焼失したトロントの病院で亡くなったという。ギルはまた、彼が"星から落ちてきた赤ん坊"で、母親が海辺で見つけた文字通りの"授かり物"だったと、言って聞かされていた。ギルは後に、11歳ぐらいになるまで、母親の奇想天外な話を信じて疑わなかったと語っている。

●著者の紹介

 ステファニー・スタイン・クリースは、レコード業界に精通するニューヨークの音楽ジャーナリストである。彼女は、ニューヨーク・タイムズ、ダウン・ビート、ジャズィー、パルスに寄稿している。また、ザ・バイオグラフィカル・エンサイクロピーディア・オブ・ジャズ、ザ・オックスフォード・コンパニオン・トゥ・ジャズの出版に寄与する。