日本では#MeTooが盛り上がらない、と言われてきた。韓国や台湾の盛り上がりと比べると、ほぼ沈黙に近い。その背景には、女性に対する厳しさがあるのだろう。性暴力被害者の痛みより、男性容疑者の人生が破滅することへの同情が強く表象され、「男女平等」の皮を被った女性嫌悪が根深い。「減るもんじゃない」のに、男の「ちょっとしたいたずら心」「ありのままの本能」(それらを笑っていなすのが女の力量と考えられてきた)を告発する女を許さない事例など、今年に入ってからでも、いくらでもある。

 語るのはつらいが、なかったことにはできない。それにこれは、私だけの問題ではない。痛みながらも明らかにしていこうとする女性たちの姿が#MeTooだ。言うまでもなく91年に発せられた元「慰安婦」女性たちの声は#MeTooそのものだった。ムクウェゲ医師もISの被害者の女性たちも、「慰安婦」女性たちと出会ってきた。今回のノーベル平和賞は、「慰安婦」女性たちの声が築き上げた先にあるものだとも言える。その声を無視してきた結果がここ。女の嘘一つで俺は破滅する、という日本の男の恐怖は、もしかしたら強い罪悪感の裏返しなのかもしれない。その罪悪感から男性たちが解放されるためにも、私たちにも、#MeTooは必要だ。

 何にしても、米倉さんには、未知子に早く戻ってほしいと思う。

週刊朝日  2018年10月26日号

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