要するに、「利益相反」というのは双方向性をもっている。対象物が好きでも危ういし、嫌いでも危うい。そうそう、前回紹介した日本禁煙学会の言うことがイマイチ信用できないのは、その名が示唆するように彼らが最初から「アンチ喫煙」という「結論ありき」の議論をしているからだ。よって、たばこに関してネガティブな情報ばかりを強調して、そうでない情報を無視するか矮小化してしまう。まあ、禁煙学会はちょっと極端なのでわかりやすいけれど、実際には飲食物を研究している人ほぼすべてがこの「利益相反」の問題をもっていると思う。

■自分の信条そのものが利益相反を生む

 利益相反というと、医者や研究者の間では「関係企業からの金銭の授受の話」だと思われていることがある。けれども、金銭の授受だけが利益相反なのではない。例えば、日本食が好きな人は日本食ビイキなデータをより強調しがちだし、逆に日本食アンチ(最近だと白米アンチ?)な人だと、白米とか日本食に厳しいデータだけを強調しがちだ。本人が気づいている場合も、無意識にやってしまっている場合もあるが、こうした自分の信条そのものが利益相反を生んでいるのだ。

 だから本来であれば、ある対象物が好きでも毛嫌いしているわけでもない、そういう中立的な人物がこういう検証をするのが理想的だ。

 よって、ワイン・ラバーなぼくがワインを論ずるのは、やや危ういところがある。禁煙学会が喫煙を論じるような危うさだ。

 しかしながら、対象物を、好きでも嫌いでもなく中立的な人物とは要するに、ワイン(あるいは健康)に無関心な人物であり、そのようなテーマをそもそも取り扱わない。健康に関して何かを論じようという人は、たいていどちらかの立場にある存在だ。ある対象を持ち上げたいか、叩きたいかだ。こうやったら健康になれる、あるいは、こんなことはとんでもない健康の敵だ、のどちらかの立場を持つのである。

■「ゼロベース」で議論することが大切だ

 ぼくはこれまでも多くのテーマについて本を書いたり、ブログで検討したりしてきた。抗生物質の是非を論じたり(『99.9%が誤用の抗生物質』)、ワクチンの是非を論じたり(『予防接種は効く?のか』『ワクチンは怖くない』)、食べ物と健康の関係を検証したりしてきた(『「リスク」の食べ方』『食べ物のことはからだに訊け!』)。

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