遠藤勝義さんがデザインしたドレスで2008年秋の紫綬褒章受章式に出席した樹木希林さん (c)朝日新聞社
遠藤勝義さんがデザインしたドレスで2008年秋の紫綬褒章受章式に出席した樹木希林さん (c)朝日新聞社
遠藤勝義さん。手に持っているのは、2013年、ファッション雑誌『VOGUE』が、その年に最も輝いた女性たちを表彰する式で、希林さんが受賞したトロフィー。「ムッシュのおかげでもらえたから」と、遠藤さんにプレゼントした(撮影/松岡かすみ)
遠藤勝義さん。手に持っているのは、2013年、ファッション雑誌『VOGUE』が、その年に最も輝いた女性たちを表彰する式で、希林さんが受賞したトロフィー。「ムッシュのおかげでもらえたから」と、遠藤さんにプレゼントした(撮影/松岡かすみ)
希林さんが愛した、黒いドレスのデザイン画。紫綬褒章受章に、映画祭のレッドカーペットと、人生の節目となる日に選んでまとったドレスだ(撮影/松岡かすみ)
希林さんが愛した、黒いドレスのデザイン画。紫綬褒章受章に、映画祭のレッドカーペットと、人生の節目となる日に選んでまとったドレスだ(撮影/松岡かすみ)
2週間に一度のペースで希林さんが訪れた、西麻布にある遠藤さんの店。このテーブルでお茶しながら、ソファ(右)に座って世間話をするのがお決まりだった(撮影/松岡かすみ)
2週間に一度のペースで希林さんが訪れた、西麻布にある遠藤さんの店。このテーブルでお茶しながら、ソファ(右)に座って世間話をするのがお決まりだった(撮影/松岡かすみ)

 樹木希林さんの葬儀が9月30日午前10時から、東京・港区の光林寺で執り行われた。

【写真】思い出を語る遠藤さんの手には希林さんからのプレゼントを持っている

「全身がん」公表から5年。9月15日、自宅で家族に見守られながら、75年の人生を終えた樹木希林さんの死を惜しむ声が、あちこちから聞かれている。

「今でもふっとそこに現れそうな気がする。寂しくてたまりません」

 こう話すのは、希林さんと30年来の親友だった、ファッションデザイナーでブティック経営者の遠藤勝義さん(68)。希林さんが亡くなる2カ月前まで、2週間に1回のペースで会っては、一緒に食事したり、家に遊びに行き来する仲だった。遠藤さんを“ムッシュ”と親しみを込めて呼んでいた希林さん。「感覚が一緒」「あなたと出会えて良かった」――。生前、希林さんからもらった言葉は、大事な宝物だ。

 遠藤さんと希林さんとの出会いは、80年代の「夜のヒットスタジオ」の収録現場。遠藤さんは当時、アイドルとして全盛期を迎えていた榊原郁恵さんの衣装を担当しており、そのセンスに、希林さんが惚れ込んだのが始まりだ。以来、希林さんの衣装の相談を受けるようになった。

「ここぞ」という時は、遠藤さんが仕立てる服を頼った希林さん。普段は、家族が着なくなった服を組み合わせて着ることも多かったというが、「人様の前に出る時は、あんまりボロ着ばかりも着られないわね」と、オーダーメードで服を仕立て始めた。とにかく物を大事にする人で、着なくなった服も自分でほどき、「これで何か作って」と、生地やビーズを持ってくることもあったという。

 これまで遠藤さんが希林さんのために誂えた服は、30着超に上る。どれも、世界でたった一つのオリジナルだ。トルソーに生地をたらしては、衣装のイメージについて、ああでもない、こうでもないと、二人で延々と議論を重ねる。打ち合わせが終わる頃には二人ともヘトヘトだったが、「こういうのは疲れるけど楽しいわね」と、イキイキした表情で笑いあった。

 そんな数々のオーダーメード服の中でも、希林さんが特に気に入った服が、2008年、紫綬褒章受章式でまとった黒いドレス。黒いロングチュールと2枚仕立てになった作りで、肩から首にかけて連なるゴールドの刺繍が印象的な一着だ(写真)。希林さんは、このドレスを2010年の映画『ゴースト もういちど抱きしめたい』でも着用したばかりか、2015年のカンヌ国際映画祭でレッドカーペットを歩く時にも身にまとった。

「こんなにも気に入ってくれて、本当に嬉しかったですよ。だけどオーダーメードで服を作っていることは、あまり外で話したがらなかった。“私はそんなガラじゃないし、恥ずかしい”なんて言ってね」(遠藤さん)

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松岡かすみ

松岡かすみ

松岡かすみ(まつおか・かすみ) 1986年、高知県生まれ。同志社大学文学部卒業。PR会社、宣伝会議を経て、2015年より「週刊朝日」編集部記者。2021年からフリーランス記者として、雑誌や書籍、ウェブメディアなどの分野で活動。

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