

落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は、「新○○」。
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上に『新』の付く単語は若々しく生まれたばかりのイメージだ。『新人』『新婚』『新刊』『新生活』……。また、既存のなにかがあって、新しく同様の名前をつけた団体・建物・駅なども『新○○』だったりする。
ただ『新○○』も時が経てば、そんなに『新』じゃなくなってくる。「相対的に見れば……まぁ、確かに『新』だけど……だいぶトウが立っちゃったな……『新○○』と呼ばれる当人も辛かろう……」と、周りに余計な気を使われだしたりして。
物心ついたとき、すでに『新○○』があった世代には、「なにが『新』だよ! いつまで『新』なんか付けてんだよ。あんたが若手のままだと、下が育たないんだよ!」と、自分の意思で名乗ってるわけじゃないのに、いわれの無い陰口をたたかれたりして。
すでに『新』ではない『新○○』が、いつまでも『新○○』のままなのは可哀想な気がする。そろそろ『新』から解放してあげてもよいのではないか。
たとえば新大阪駅。1964年にデビューして駅歴(?)54年。54歳といえば、働き盛りをちょっと越えたかな……いや、でもまだまだやる気みなぎり、今の駅界を背負って立つ世代だ。ただ大阪駅よりははるかに若い。1874年入門の長老・大阪駅師匠にしてみれば孫同様だ。「ワシの目の黒いうちはお前はまだまだ『新』でいろ」てなもんだ。正直、こういう先輩はホント困るなぁ。
我々、関東の人間からすれば新大阪駅は、大阪駅師匠よりはるかに知名度がある。申し訳ないけど、私はこないだまで「え? 大阪駅ってあるの? 大阪駅が新しくなって新大阪になったんじゃないの?」と思っていた。新大阪駅は新幹線を抱えて54年。もう明らかに『新』じゃない。派手に襲名披露して『二代目 大阪駅』を名乗ったらどうだろう?