――バブル当時と今とでは、振り付けは違うようですね。

「ハイ。先日、日本テレビの番組『ベストアーティスト2017』に出演させていただいて、久しぶりに当時の振り付けのまま踊ったんです。ステップや振り付けが少ないなと感じました。(デビューから)30周年を迎えた時(2014年)、コリオグラファー(振付師)は同じく三浦亨さんにお願いして、新しいバージョンを作っていただいたんですよ。当時よりもっとアップテンポで、細かい振り付けが多くなりました。ダンスはダンスで成立していて、そこに歌が乗っかっているような感じです」

――アイドルだった時代はどんな思いだったですか?

「先のことを考えるというよりは、あしたのことしか考えられないくらいの毎日でした。スケジュール帳が真っ黒でしたよ。1年間にシングルを3枚出して、アルバム1枚出して、そのうえにコンサートやドラマの撮影とかもありましたから」

――「六本木純情派」(1986年)も大ヒットし、おしゃれな生活をしていたイメージがあるのですが、私生活はどうでしたか。

「遊びに行くひまもなかった。その頃は東京都内にもう引っ越してましたけど、私が食事のひまもないくらいだったので、母親が毎朝、野菜ジュースをつくってくれました。今でいうスムージーみたいな健康ジュースでしたね。出かけるとき、ガブ飲みしてました(笑)」

――当時は「ザ・ベストテン」(TBS)など、歌番組が多かったですね。

「『ダンシング・ヒーロー』がチャートインするようになって出演したときには、全国的に認められた気がして、ものすごくうれしかった。でも、そこから先は、同じようにチャートインするような曲を作らなきゃけいないというプレッシャーのほうが大きくて、私以上にまわりのスタッフが重圧に押しつぶされそうになっていました。渦中にいる私としては、アスリートな気分でしたよ。次の試合(曲)にどう挑むか、毎日が戦いみたいな感じでしたね」

――元テニス選手でスポーツ解説者の辻野隆三さん(48)と結婚したのが2001年。今や三女の母ですね。

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