2人の政治生活には山もあり谷もありましたが、肝心な時にはいつも一緒にいました。恩師である田中先生の誤解を生んだ、そして先生の逆鱗に触れながら田中派の中に竹下(登)氏を中心とした新しい勉強会も結成いたしました。しかしまたその後、政治の改革をめぐる基本的な理念、考え方の相違から、自民党を離党し、新党を結成しました。節目になるといつも2人でとことん話し合いました。失敗すればもう政治生命はないだろう、という時になっても、つとむちゃん、君はそれこそ結婚式の仲人でも引き受けるような調子で「分かった、分かった、一緒にやろうや」と言ってくれました。正直に言って、「この問題の深刻さが本当に分かっているのだろうか」と、いぶかったこともありました。つとむちゃん。君はいつでも、分かっていました。分かった上で、自分の信じる道、自分の思う道を選んだに違いありません。
先月の28日、突然の悲報を聞き、ご自宅にうかがいました。君を苦しめた病気の気配などかけらもなく、大事を成し遂げた人だけが持つ、穏やかで満足感に満ちたお顔でした。君が身命を賭し、全身全霊をかたむけた二大政党制は、いったん芽が吹きかけたように見えましたが、わずか2年余りでついえてしまいました。僕もその責任を痛感しております。
本当に多くの先輩・同僚が旅立ちました。そして今、君もかつての仲間たちと一緒になって、さぞかしにぎやかな歓談の場の中心にいることだと思います。僕もいずれはその輪の中に入れて頂きたいと思います。
ただ、今日の政界は、一強他弱と言われるような状況下にあります。君はいなくなってしまいましたが、残ったみんなで力を合わせ、もう一度政権交代を実現し、「この国に政権交代可能な議会制民主主義を定着させることができた。我々が歩んできた道に間違いはなかった」と、その時につとむちゃんに報告ができるようにしたいと思います。それだけを楽しみに、僕は君のいない、さびしい政界の中ですが、何としても踏ん張ってがんばろうと固く心に決めております。
つとむちゃん。安らかにお休みください。そして、これからも日本の政治を、私たちを、天上から見守っていてください。さようなら。
(本誌・吉嵜洋夫)
※週刊朝日 2017年12月22日号