今年8月に亡くなった羽田孜元首相。当選同期で政治活動をともにした小沢一郎・自由党共同代表が東京・港区の青山葬儀所で営まれた葬儀で追悼の意を表明していた。
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つとむちゃん。今日はいつもの2人だけの時のように、そう呼ばせてください。昭和44年の初当選の同期の友であり、また同志であった2人は、子どものように「つとむちゃん」「いっちゃん」と呼び合って過ごしてきました。それから半世紀近く経ちましたが、僕の脳裏にある君は穏やかな笑みを浮かべ、物おじもせず部屋に入ってきたつとむちゃんであり、緊張して座っていた僕は、しばらく前の大学院の学生だった田舎者のいっちゃんでした。
その2人の出会いは、政治の師である田中角栄先生の事務所が対面の場でありました。つとむちゃん。君は父上が病に襲われ、父が急逝した僕と同様、思いもよらず政治の世界に足を踏み入れることになりました。田中先生に「戸別訪問3万軒、みんなと握手をしろ」。そう命じられ、来る日も来る日も選挙区を歩き回って、ようやく当選を果たした2人に、先生は同期当選の名を一人一人挙げて、「県議会議員、県知事、中央官庁の役人等々、みんな政治や行政のプロだが、おまえたち2人はズブの素人だ。他の同期生と一緒になってぼんぼんとその日を過ごしていたら、おまえたちの将来はない。命がけで勉強しろ。がんばれ」。そう叱咤激励されたことを今でもはっきり覚えています。
僕はともあれ、つとむちゃんは終生、その教えを守りました。郵政の問題であれ、農政であれ、知らないことは知らないとはっきり言い、3人歩めば必ず我が師ありとばかりに謙虚に教えを請い、ついには誰からも一目置かれる存在になりました。君の周りにはいつも人があふれ、笑いに満ちていました。来る者は拒まず、去る者はそっと見送り、再び来る者は何もなかったかのように迎える包容力によるものだと思います。
僕は生来の口べたで、無用な敵をつくったり、あつれきを生んだりすることがしばしばありました。そのたびにつとむちゃん、君は「いっちゃんはシャイで人見知りなだけなんだ」と、取りなしてくれていたと聞いております。百術は一誠にしかず。まさにこの言葉を実践された政治人生でありました。