マイルス・デイヴィス『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』
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ジョン・コルトレーン『ジャイアント・ステップス』

●ジャズの世界へようこそ

 数あるホームページの中から、この「ジャズ・ストリート」を選ばれたあなたは、ジャズに対して相当な関心や熱意をお持ちの方ではないかと思われます。ご案内役のひとりを仰せつかります、私が原田和典です。どうぞよろしくお願いいたします。

●ジャズのCDを選ぶ

「マイルス・デイヴィスのCDが聴きたいなあ」。あなたはCDショップに行きました。マイルスの作品群は、ジャズ・コーナーの中でもひときわ大きな位置を占めています。店員さんに場所を尋ねるまでもなく、それはすぐさま、あなたの目に飛び込んでくるはずです。「わあ、マイルスのCDってこんなに出ているのか!」と誰もが驚かれることでしょう。「こんなに多くちゃ聴けねえやベランメエ」と、なかば投げ出してしまう方もいらっしゃるかもしれませんが、なんとかそこをグッとこらえていただき、CDショップにずらりと並んだマイルスの作品をじっくり見ていくことにしましょう。

 そのうちあなたの視線は、1枚のアルバムを捉えます。題名は『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』です。ジャケットもなかなかかっこいい。サングラスをかけたマイルスが左手でトランペットを抱きかかえながら、右手で頬づえをついている。これ、実際に真似してみると(トランペットは"おたま"か何かで代用しましょう)、かなり不自然で疲れるポーズなのですが、マイルスがやると、じつに絵になりますね。モノクロ写真にかぶさる赤のコントラストも絶妙で、「これがジャズ・ミュージシャンの作品というものなんだ」と、ジャケット全体で主張しているかのようです。

●再発された年で内容が異なる

 長年、ジャズ・ファンの間で支持されてきた人気盤ですので、数え切れないほど何度も再発されています。最近では2005年と2006年に相次いで発売されました。しかし05年版と06年版は内容が異なるのです。

『ラウンド・アバウト・ミッドナイト(+4)』 2005年発売
1.ラウンド・アバウト・ミッドナイト
2.アー・リュー・チャ
3.オール・オブ・ユー
4.バイ・バイ・ブラックバード
5.タッズ・デライト
6.ディア・オールド・ストックホルム
7.トゥー・ベース・ヒット
8.リトル・メロネー
9.バッドオー
10.スウィート・スー,ジャスト・ユー

『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』 2006年発売
1.ラウンド・アバウト・ミッドナイト
2.アー・リュー・チャ
3.オール・オブ・ユー
4.バイ・バイ・ブラックバード
5.タッズ・デライト
6.ディア・オールド・ストックホルム

 マイルス・デイヴィスがこの作品を録音したのは1955年から56年にかけてのことです。当時のジャズ・レコードの主流はLPでした(これは82年にCDの市販が始まり、87年にジャズLPとCDの出荷量が逆転するまで続きます)。釈迦に説法かと思いますが、LPとはロング・プレイングの略。33回転のアナログ・レコードで、A面とB面に分かれており、片面あたりの収録時間は平均20分といったところでしょうか。マイルスは計3回の吹き込みの中から全6曲を厳選し、LP『ラウンド~』を完成させました。その収録曲のままCD化したのが06年発売の作品なのです。

 もう一度、05年発売と06年発売の『ラウンド~』の表題を確認してください。05年発売のものには、(+4)という文字が入っていますね。『ラウンド~』と同じときに録音されてはいるものの、収録時間の問題や「アルバムのムードから外れる」などといった要素が積み重なってLP『ラウンド~』から漏れた4曲を、CDの巻末に付け足したのです。 こうした追加曲を、通常、ボーナス・トラックと呼びます。LPの約2倍の収録時間を持つCDの特性を生かしたシステム万歳!と喜ぶこともできましょうが、この"おまけ収録"がマイルス本人やLP盤制作当時のスタッフたちの意志とは、まったく関係のないものであることはいうまでもありません。

●「ボーナス」の落とし穴

 ボーナスといえば、たしかに聞こえはいい。この言葉に拒否反応を示す人間など皆無でしょう(私はこれまでの人生、会社員だった頃でさえも、一度もボーナスにありついたことはありませんが)。しかしこの行為、考えようによってはピカソの「ゲルニカ」のキャンバスに、そのラフ・スケッチをやたらめったら貼り付けているのと同じことではないでしょうか? 「ミロのビーナス」に、よその彫刻から引き抜いた両腕を強引にくくりつけることに匹敵するほどには無謀な行ないではないと、誰が否定できますでしょうか?

 ジャズ仲間と「マイルスの『ラウンド~』っていいねえ」と話をしようにも、一方が6曲入りを、他方が"(+4)"を頭に描いていては、合うはずの意見もすれ違いに終わるかもしれません。

 私はこれまで『コルトレーンを聴け!』(ロコモーションパブリッシング、05年)、『世界最高のジャズ』(光文社新書、06年)といったジャズ本を著しました。その両方に登場するのがジョン・コルトレーンのアルバム『ジャイアント・ステップス』です。

 これがまた悩みの種でした。『ラウンド~』の場合はまだ良かった。オリジナル形式(全6曲入り)のもの"も"出ているからです。しかし、『ジャイアント・ステップス』の国内盤は、初CD化以来、ボーナス・トラック入りのもの"しか"出ていない。05年当時に流通していたCDのタイトルは『ジャイアント・ステップス(+6)』だったのに、翌年の終わりには『ジャイアント・ステップス(+8)』が店頭に並んだのです。1年足らずでボーナス・トラックが2つ、増えてしまったのですね。この調子でいくと10年後には『ジャイアント・ステップス(+28)』、50年後には『ジャイアント・ステップス(+108)』になってしまうではありませんか。もともと『ジャイアント・ステップス』の収録曲はA面4曲、B面3曲の計7曲。その"本体"よりボーナス・トラックの曲数が多いなんて、それはもう、『ジャイアント・ステップス』とは呼べない、何か別の物体だと思います。私は上記2冊を書くにあたり、この手のボーナス・トラック、およびそれを収録したCDを一切、除外しました。「つきあってらんねえ!」と、心が叫んだのです。

 ジャズは、そしてアートは、「タイムサービス、しゃぶしゃぶ980円おかわり自由」でもなければ、「1袋380円、温州みかん入れ放題」でもないのです。とはいえ、ボーナス・トラック入りのCDを既にお持ちの方に「いますぐオリジナル形式のものに買い替えよ」とは、いくらなんでも言えません。しかし、一度は、ボーナス・トラックを除外した、オリジナルどおりの形に添って(できればA面最終曲とB面最初の曲の間にはトイレ・タイム程度の空白を設けて)、制作当時のミュージシャンやプロデューサーの"意図"を汲み取ってみるのもいいのではと、僭越ながらご意見させていただきます。

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