ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「聖子と沙也加」を取り上げる。

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 見くびることなかれ。天上天下唯我独尊松田聖子。やはり日本人は松田聖子を放ってはおけないようです。それを証明した沙也加の結婚。生まれた当時はまさに『国民の娘』だった、あの沙也加ちゃんが、見目麗しき金髪姿で嫁入りを宣言する日が来るなんて、一定の世代にとってはこれほど感慨深いものはありません。お相手もまた、あらゆる時代的価値観とヘアケア技術の進歩を痛感させるサラサラロングヘア男子(身長187センチ)です。

 生まれながらにして日本中に認知されながらも、実態や成長はほぼ『目線入り』で、「聖子ちゃんの娘、実は可愛くないらしい」という願望にも似た歪んだ憶測の中で育った沙也加(以下サーヤ)。彼女のデビューが決まり、その姿形が白日の下に晒された日の衝撃は今でも忘れられません。サーヤ、贔屓目なしにかなり正統派の可愛いお嬢さんだった。その事実は同時に『聖子が真の勝ち組』であることを意味していたのです。当初の芸名『SAYAKA』は、まるで日本を敢えて『NIPPON』と表記するような、またはヒップホップによくある『S to the A to the Y to the A』的な、「さあ、よく見なさい。これが我が娘・沙也加よ! どうだ参ったか!」という聖子ちゃんの勝利宣言だったと私は心得ています。

 さらにそんな母のドヤ顔&泣き顔の傍らで、すでに母をも凌ぐしたたかな満点アイドルスマイルをするサーヤを見て、「日本人は聖子を信じ続けてきてホントによかった」と歓喜したものです。

 
 サーヤ婚約に際し、今や日本きってのミュージカル女優として、劇場に出待ちするファンとひとりひとり握手をする『神対応』が話題となっていましたが、思えば母・聖子は『アイドルの両手握手』を日本に根付かせた人です。諸説あるものの、かつてファンだった郷ひろみさんに「両手で握手をしてもらった。だから私もファンの方とは両手で握手をさせて頂いている」と、ファンとの握手は『サービス・商売』だと断言した最初のアイドルと言われています。血ってやつです。最近じゃDNAと呼んだ方が無難でしょうか。サーヤ婚約に纏わるあれこれには、すべて聖子のDNAがふんだんに受け継がれているではありませんか。ここぞとばかりに神田正輝を登場させるところなんて、往年の『聖子in武道館』または92年のレコード大賞を彷彿させます。そして父親とはいえ、やはり正輝さんってこういう女の押しに弱いのだと改めて実感。母娘2代にわたり振り回されるなんて。あっぱれ!

 それにしても芸能記者の皆さんもなかなか焼きが回ったものです。どれもこれもネット情報しか漁っていないのが丸分かりなものばかり。もっと足を使って! せめて記憶ぐらい正確に留めおく努力を。あの母娘が対外的に決別したのは3年前(2014年)ですよ。直後に『アナ雪』がヒットし、年末の紅白で親子共演が実現するも、サーヤはちゃっかりN.Y.からの録画で、しかもあろうことかオリジナル歌手と大型スクリーンの中で唄うサーヤの下、聖子はMay J.と並び『Let It Go』を合唱させられるという歴史的演出を忘れてしまったのでしょうか? ファンとしては、いつか聖子ちゃんのライブに再びサーヤが戻ってきてくれるのを願うばかり。その時が真の決戦です。レフェリーはもちろん神田正輝で。

週刊朝日 2017年5月26日号