ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「クリントン夫妻」を取り上げる。
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誰がアメリカの大統領になろうと、今日も世界はいつも通り廻っています。所詮は『よその国』。そんなことを強く感じる今日この頃ですが、楽しみにしていたイヴァナ・トランプ(最初の妻)の姿はどこにも見当たらない代わりに、なかなか衝撃的な光景を目にしました。ビルです。ビル・クリントン。
歴代米大統領のひとりとして、トランプ就任式に列席していたビル。他にもブッシュやカーターといった面々が揃う中、すべてを過去に置いてきてしまった人のような、ぶっちぎりの『非・現役感』を漂わせていました。もちろんビルの傍らには、選挙戦の時以上にギラギラとしたオーラを放つ妻ヒラリーが。別に歴代ファーストレディーは『添え物』にならなきゃいけない法はありませんが、「こんなことなら大統領になってくれていた方がマシだったかも」と、ビルも思ったに違いないぐらいの光と影がありました。もはや哀愁とか隠居どころのレベルではない。男とは、こんなにも明白(あからさま)に『枯れる』生き物だったのかということを、まざまざと見せつけられた気がします。
今から四半世紀近く前。戦後生まれの初の大統領として、90年代の安定したアメリカを束ねたビル。東西冷戦が終わり、ベトナムとの国交も正常化させ、湾岸情勢も落ち着きを取り戻す中、ホワイトハウスで愛人(モニカ・ルインスキー)との逢瀬を重ねていた大胆不敵なビル。そして、そんな『不適切な関係』を世界中に知られる羽目になったビル。浅はかで抜かりだらけの若き大統領は、私にとってまさに『自由の国アメリカ』の象徴であると同時に、繊細さの欠片もない男社会の典型でした。この軽率さと単純明快さこそが男という生き物。しかし、男性がそこにあぐらをかいていられる世の中ではなくなりました。女性の社会参画が根付き、アメリカの政治世界においても、いよいよ女性指導者の誕生も夢ではなくなってきた2000年代。その筆頭となったのが、あろうことか妻であるヒラリーだったのです。
ビルとヒラリー。いずれにしてもタフな夫婦です。とはいえ、今さらこのふたりに、穏やかな老後など送れるのか心配でなりません。
※週刊朝日 2017年2月10日号